調布支部結成15周年を迎えて


2004年12月17日  都立農業高校神代農場集会室にて
 本田栄一

末尾に写真集
を掲載します

 

 本日は私たち、全日本年金者組合調布支部の結成15周年をお祝いする記念の集いに、多数の皆さんがお集まり下さいまして有難うございます。ご指名を頂きまして結成以来の役員の1人として、ご挨拶申し上げる機会を得ましたことは大変嬉しく思っております。
調布狛江支結の結成に至るまで

 15年戦争と云われるあの厳しい戦争の時代に少年から青年ヘ、そして兵役に課せられ命永らえて帰って参りました私たちは、2度と戦争はしないと固く心に誓い、平和の尊さを命懸けで護ろうと決意し、戦後きびしい生活にも耐えぬき、働くものの幸せを願って民主的な権利を拡大するために、職場で、地域でたくさんの仲間と力をあわせて参りました。

 しかしながら、戦後45年の歳月はまだまだ労働者が恵まれる状態には程遠い状態が続いていた中で、かつての青年も白髪を数える高齢期を迎えて、或る者は定年となり、或いは仕事を失って、これからの人生を僅かな年金などを支えにして生きる生活を余儀なくされていました。

 こうした折に、1989年に初めて全日本年金者組合が中央段階で結成されました。いち早くこの組合に参加されておられた調布柴崎の小島宏さんから私に「調布に年金者組合支部をつくるために協力してもらえないか」と呼び掛けがあり、日頃から地元で後援会活動や、平和運動を共にしてきた方々に声をかけ、共産党の地区委員会の部屋を借りて、岡部さん、川上さん、石塚さん、原さん、小松さんなどと小島さんを交えて結成準備の打合せを重ねて、調布・狛江地域に年金者組合の支部を結成する運びとなりました。

 結成の模様は後日発刊された支部機関紙5月1日付け創刊号の巻頭に簡潔に述べられております。

 『雨も上がった2月24日、全日本年金者組合、調布、狛江支部結成総会が調布公民館で行なわれました。

 総会は石橋氏の司会ではじまり、本田を議長に議事がすすめられ、年金者組合本部、共産党市議団、統一労組懇代表の祝辞を受けた後、川上氏より組合の自的と規約、運動と予算が提案され、熱心に質疑、討論が行なわれました。組合費の最低百円についても意見を尽くすなど、参加者が納得出来た後、採決で提案が満場一致拍手をもって承認されました。






 続いて役員の選挙に移り、支部長に岡部長利氏、副支部長に小松一夫、石橋明の両氏、書記長に川上和美氏、顧問に富岡隆氏、相談役に小島宏氏ほか、執行委員九氏を選出しました。

 役員を代表し、岡部支部長より、「今日まで年金者が治安維持法やレットパ ージの弾圧をはねのけながら闘ってきた。今、日本政府が世界の経済大国にのし上がり、この中で年寄を粗大ゴミの様にとり扱っているが、年金者組合を大きくして、みんなで団結して闘って行きたい。」と組合の発展を呼び掛けました。

 議事の最後に、高橋啓子執行委員より、結成総会の「宣言」が高らかに読み上げられ、全員の拍手を以て採択されました。次いで開かれた第2部の懇親会では、和やかな懇談が続き、結成総会にふさわしく大きく盛り上り、それぞれの参加者に深い感銘を残しました。』

 初期の活動で組合員100名を突破

 以上が支部結成に至る経過ですが、その翌年の1991年の6月15日の市民センターでの第2回定期総会には、28名の参加で、小選挙区制反対の決議を行い、また調布・狛江市政にそれぞれの市民要求を初めて行いました。
 1992年4月26日に開かれた第3回定期総会には全国1000万人の年金署名と5億円のカンパを取組む中で、東京でも3万人署名と100万円のカンパを達成し、調布狛江支部は署名が5位、カンパは6位の成績で、組合員1人15人の署名を達成したと報告されました。組合活動も3年目に入り軌道に乗って、1993年の1月に、結成時30名の組合員が100名を突破しました。

 組合結成4年を迎えての第4回定期総会が、1993年4月26日に市民センターに34名が出席して行なわれました。

 冒頭に前年末に亡くなられた岡部支部長の冥福を祈り黙祷が行なわれました。来賓各位より貴重な挨拶と激励を受けた後、議事に入り、全員の拍手で方針と予算が承認され、又小選挙区制糾弾の特別決議も採択されました。役員選出に入り、新たに石橋支部長、田村、古野両副支部長、貝川書記長、10名の執行委員が選ばれ、顧問に富岡さん、相談役を小島さん、川上さんにお願いすることになりました。来年の総会までに、調布は100名、狛江は50名をめざして頑張ろうと申合わせました。

 狛江地域組合員を分離・独立  狛江支部を結成し送り出す

 翌年、1994年4月24日の第5回定期総会で、狛江地域の組合員50名を分離して新たに狛江支部として独立させて送りだし、残った調布地域組合員88名を以て調布支部として運動を存続、さらなる発展を期して貝川支部長、田村副支部長、我妻書記長、三宅書記次長を中心とした執行委員会のもとで、再び組合員100名超過を目指し広範な活動を継続しました。

 1995年5月21日に第6回定期総会が市民センターで開かれました。挨拶に立った貝川支部長は組合員100名の目標を118名へ超過達成し、躍進の中で総会を迎えたことを報告しました。総会は引続いて貝川支部長のもと、三宅副支部長、我妻書記長とその後就任が決まった近田書記次長を執行委員が支えてさらなる発展を期して新たな発足をしました。

 翌年1996年6月16日に市民センターで第7回定期総会が行なわれました。貝川支部長は挨拶の前に岡田明方さんの逝去を知らせ、全員で黙祷を捧げました。支部長は東京都本部が5000人の目標にあと400人に迫ったと報告のあと「本日調布支部は143人と目標を超過達成致しました。5月末に130人でしたが、皆さんの活動に深い敬意を表します」と述べ、1年間の諸活動と沖縄問題にふれ、全国市町村の反対の運動により政府に今国会での介護保険の提出を断念させたと報告されました。調布市の65歳以上の1%は126名ですので、年末200人突破の目標に皆さんのご協力を期待しますと結びました。

 都の武田委員長が「余力をもった豊かな活動は頭の下がる思い」とお祝いの言葉を述べられ、全労連の渡辺議長は「年金者組合は若い頃に、活動された方が多く、高齢にも関わらず頑張っておられ、いつも励まされている」と挨拶され、東京土建調布支部渡辺副委員長は「私たち土建も頑張って皆さんの運動に加わっていきたい」と挨拶されました。方針討議でも組合員拡大・歩こう会の活動・自分史の会の報告・カラオケ教室等が多岐にわたって述べられました。役選で貝川支部長、正村副支部長、近田書記長が選ばれ、執行委員とともに新年度の方針を実践することになりました。

200名の組合員実現を支部の目標に掲げて新たな活動を

 1997年5月25日、第8回定期総会が市民センターで行なわれました。今回から地域懇談会をもっと広げ、幅広い活動の中で組合員200名を実現することを目標に掲げて、日常活動を強めることが決められました。特別決議が「医療保険改悪、介護保険法案と都の福祉削、減に反対します」と提案され全員拍手で採択されました。特別決議が「医療保険改悪、介護保険法案と都の福祉削減に反対します」と提案され全員拍手で採択されました。役員は貝川支部長、正村、飯野両副支部長、近田書記長のもとに新執行委員も選出され、後日の役員会では執行委員の任務分担も定められました。高齢者いじめの医療改悪が実施され、さらに年金改悪のたくらみが出され年金者組合の役割は益々重要になってきました。

 1998年6月7日、福祉センターで第9回定期総会が開かれました。「医療年金などの連続改悪に反対し、社会保障の充実を要求します」との特別決議が採択されました。狛江支部を分離した第5回総会以来4期にわたり支部長の重責を担い、組合員拡大と支部の活動発展のために尽くされてきた貝川氏が相談役に退き、新たに近田支部長、正村、飯野両副支部長、細井書記長、鎌田書記次長の役員体制に執行委員が加わり、組合員のつながりを強め、助け合って200名の大台を目標に努力し、年金改悪と医療改悪との闘いを強める活動を進めました。

 1999年6月6日に福祉センターで第10回定期総会が開かれました。前年の参議院選挙で自民党は歴史的大敗をしたにもかかわらず「掛け金を増やし、給付を減らす年金改悪をはじめとして国民に犠牲を転嫁する政策とガイドライン法・戦争法案を強行採決し、憲法九条をふみにじり日本を戦争する国に進めることに反対する特別決議」を採択しました。組合員の1%を月間で拡大する様努力する方針を確認致しました。役員は近田支部長、正村、田島両副支部長、細井書記長、鎌田書記次長と執行委員を決めました。

 2000年6月11日、市民センターで第11回定期総会が行なわれました。51名の出席者は会場一杯となり、頼りになる楽しい組合活動の方針に対し、地域懇談会、サークル活動の強化、憲法、平和の集い、介護保険、年輪編集などの積極的な意見、討論が続けられ充実した総会でした。近田支部長に貝川相談役が協力して副支部長となり、田島副支部長も再任されて、細井書記長、今井書記次長が選任され、執行委員とともに活動方針に沿って努力することになりました。

 2001年6月3日、市民センターで前年を上回る54名の多数出席により、第12回定期総会が成立しました。森内閣に代った小泉内閣は憲法改悪をめざすタカ派内閣であり、悪政の断行に反対し、6月の都議選、7月の参議院選で都民本位、国民本位の政治に代えて行くために力を尽くそうと申し合わせました。近田支部長、貝川、石山、田島の3人副支部長、今井書記長、細井書記次長の体制に、女性を増員した執行委員が加わって課題の多い年間活動を継続することになりました。

 2002年6月2日に市民センターで第13回定期総会が聞かれました。出席者は52名でしたが、新しく加入された組合員の参加が目立ちました。春の拡大月間で12名が増え、224名という新しい峰を築いて意気あがる活気に満ちた総会でした。

とくに討論では組合内に「戦争法案をつぶす会」をつくり、法案阻止のために、広く市内の各駅や地域に宣伝活動を重ね、国会座込みや要請行動への参加などの報告を含めて、活発な討論が交わされ、「国民のいのちとくらしを守るため、有事法制や医療改悪案を断固阻止しよう。」「第16回日本高齢者大会成功のために、みんなで力をあわせましょう。」との2つの特別決議を採択し、当面9月に東京で関かれる高齢者大会には、100名の参加を実現するために全力を尽くすことを申合わせました。近田支部長、石山、貝川、田島、松平の4人の副支部長、今井書記長、細井書記次長、執行委員を選出し、前年に続き身近で頼りになる組合づくりを目指し活動をはじめました。

  日本高齢者大会に133名
  2003年年6月9日に福祉センター教養娯楽室で、第14回定期総会が61名の出席で行なわれました。前年9月の日本高齢者大会にはのべ133名が参加したことが報告され、また、「戦争法案をつぶす会」の活動が注目されていることが述べられ、地域懇談会、あけぼの、あかねをはじめとする文化活動、ちょこっと隊の実践活動が討論され、組合員同志のつながりを強め、役員以外の方の活動参加をふやし、年金のことをもっと学習を深めて人に話せる様にしようなどと意見が出されました。総会議事終了後、「年金改悪反対」「日本を戦争する国にする有事法案に反対する」「長友市政を支えるため市民との共同を強めよう」との特別決議が採択されました。
 役員体制は、近田支部長、石山、貝川、田島、松平4副支部長、今井書記長、細井、加藤 ( 由美子 ) 両書記次長に執行委員が加わり、継続発展を目指して活動がはじめられました。

 結成15周年を躍進の年に
  2004年6月20日に市民センターで、第15回定期総会が委任を含め142名の成立で開催されました。年金法を改
悪し、憲法九条を骨抜きにして日本を戦争をする国に突き進む様に変えようとする、戦後最悪の小泉政権のもと、イラクに自衛隊を派遣した口実もはっきり失われ、国民のくらしと平和を守る闘いが益々重要な段階で総会を迎えました。当日が投票日である狛江市長選での矢野市長3選を期待する声も交え、この1年間の年金改悪にたいする闘い、イラク戦争反対、憲法改悪反対、平和の問題についての報告とあわせ、地域懇談会、ためになる学習会、文化活動、戦争を知らない若い人への働きかけやちょこっと隊の活動が討論され、もっと楽しく頼りがいのある組合づくりに、みんなが力をあわせるとの方針が確認され、特別決議「憲法を生かし、平和でくらしやすい日本を目指して頑張ろう!」が採択されました。
 役員体制は前期と同じ、近田支部長、貝川、石山、田島、松平の4副支部長、今井書記長、細井、加藤(由美子)両書記次長に執行委員が加わり、参議院選挙で自民後退、民主拡大の複雑な政治情勢の中で、イラク問題、改憲問題、年金問題、増税などと取組みながら、支部結成15周年の年を過去の教訓に学び、大いなる躍進を目指して全組合員が活動を進めることが確認されました。

 文化活動や親睦交流の活動は支部を大きくする大切な役割
 15年の支部のあゆみの中で仲間を励まし、新たな仲間を迎える上で、文化活動や親睦交流の様々な企画と実践は支部の活動の厚みを増す上でたいへん大きな役割を果たしてきました。 それぞれを担当された方々のご苦労とお骨折りにより、今日の活動の発展がもたらされたものと思います。 例年の行事、総会後の懇親会、夏祭り、望年会、1泊バス旅行、日帰りバス旅行、山歩き、ハイキング、ぶらり散歩、カラオケ、童謡の会、自分史の会、戦争体験を語る会、平和の集い、時々の学習集会、新組合員懇談会、班の懇談会、地域懇談会、あけぼの交流会、パソコン教室等々、諸々の行事は組合員の心をつなぐ大きな役割を果たしてきました。組合員のみなさんが同好の志をもっていずれかの会合にご参加されて、さらに広がる様に願っております。

 支部機関紙「年輪」について

 支部のすべての活動を伝えて「年輪」は今月176号を迎えます。結成後5月に創刊された当時は機関紙名はありませんでしたが、「多摩の年輪」と役員会で命名されて3号より表示されました。発足当時は石塚さんと後に雲仙に引っ越された原さんと私(本田)3人が担当でした。デザイン、形式も当時のままで今日に至っております。一時期は所さんと私の2人の時もありましたが、編集と製版、ワープロは約12年間私が担当して来ました。印刷は当初共産党の地区委員会で刷って貰いました。その後半年位して民主商工会の佐藤勝夫さんに5年近くお願いしてご協力頂いて心から感謝しております。JUKIをやめ70歳でシルバー人材に入り小学校に勤めた折に、多摩堀井製版から印刷機を自費で購入してから、現在までその機械で印刷して来ました。

 94年の年金者組合中央本部の第5回機関紙コンクールに応募して努力賞2回、入選2回、優秀賞2回、その翌年新設の最優秀賞を2年連続2回、通算8年連続して表彰を受けましたが、ひとえに先輩や仲間のご協力によるものと感謝しております。在任最後の受賞の講評は日本機関紙協会事務局次長より「多摩の年輪はB5判の16〜20頁もの。企画の多彩さは群を抜いており、毎号楽しみな機関紙です。いずれの記事にも執筆者名がついており、活動の幅の広さがうかがえます。」と紹介されました。この時は応募105紙中3紙が最優秀賞でした。その後、支部に職業経験者もおられ組織的に分業の体制もつくって頂きました。石山さんに担当をお願いすることになり、編集会議をもって輪番の方も参加し方針をきめ、原稿依頼、編集打合せ後、所さんが担当して製版を完了。届けて頂いた製版をもとに、写真頁は私がセブンイレブンでコピーして、その頁以外は自宅の印刷機で印刷し、頁毎に分けたものを書記長にお渡しして、後日折り込み組合せ作業で完成となります。現在、コンクール応募も再開して、都段階の最優秀賞や中央段階の入選受賞を続けております。

 「年輪」は他支部機関紙とくらべ、発行形態が独特で以前は投稿も多く20頁以上の時期もありましたが、増減可能で便利でした。今回、組合の歴史について、私にお話する様ご指名頂きましたが、主な記録は年代を追って調べることが出来て、懐かしい 記事も改めて見直しました。沢山の組合員が参加して積重ねてきた努力を考えると「年輪」は調布支部の宝ものと思っております。組合結成以来今日まで、「年輪」に携わってきたことは私にとって大変幸せなことだったと感謝しております。

                                             以上

15周年記念写真集

初期の役員 89年11月16日
 後列左から、石塚精進執行委員、田村直二執行委員、小松一夫副支部長、貝川正也執行委員、(故)川上和美書記長、内山芳子執行委員、高橋啓子執行委員
 前列左から、三宅正則執行委員、原義勝執行委員、(故)石橋明副支部長、(故)古野勝雄執行委員、(故)富岡隆顧問、本田栄一執行委員、川上昭子執行委員
結成総会 90年2月24日
 
支部結成総会当時、神代植物園での記念写真 (原さんが撮影)

岡田澄子さん&富岡隆さんの思い出
本年(04年)10月に富岡さんと岡田さんが相次いで亡くなられました
 明治、大正、昭和、平成の時代を、ひたすら戦争に反対し、民主的権利を守り、高齢期を迎えられても、岡田さんは、解放運動無名戦士遺族会三多摩「いしづえ会」前会長として献身、富岡さんは、金属労働組合運動や労働者教育協会の発展、戦争体験集の発刊、自分史の会の指導、「年輪」への投稿などに尽力されました。ともに支部結成いらいの組合員で、調布支部発展のためにご尽力をいただきました。

富岡さん
享年94歳

岡田さん
享年95歳

97年12月13日 戦争体験を語る会で岡田さんと富岡さんはともに米寿のお祝いを受けた

93年5月10日の岡田さん

92年8月15日 故富岡顧問(右)と
故岡部初代支部長(左)

94年4月15日 平労会館にて