▲2000年6月27日に逝った父
享年80歳


虹いろの雲
目次
ぼくのアルバム
わがうからやから
わたしの料理


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       ▲ 元気な母と、母がお気に入りの動画の緑ちゃんと、わが敬愛する姉・弟・妹
         この母は、2014年10月20日に父のところに逝きました、享年97歳。

ぼくのアルバム
1940年 まぼろしのけがれを知らぬ日々なりき

生誕100時間のぼくと姉
(1940年10月2日)

生後100日 (1940年12月22日)
1942年4月〜43年9月  宮城県岩沼町南桜小路に居住

アメリカ帝国主義との
たたかいを決意した?頃

実父とのツーショット
1944年8月20日漢口にて戦死
享年34歳

1942年4月 阿武隈川付近で 姉・父と
1947年
1948年

4月、1年遅れの袴着(祖父三右衛門と)
村上小学校に入学

白山小学校へ転校
1949年

浜浦町へ転居の頃
1952年 NHK・QK児童劇団のクリスマス
  
1953年

1953年春の縁側

中学入学を控えたぼくと
小3控えた弟(1953年)
1954年 関屋中学校2年生の春に砂山で
1958年 新潟高校・演劇部時代
2月24日予餞会でチエホフの「記念祭」に挑戦
その稽古風景2題と公演後の記念撮影

1958年8月30日 OB公演「危険な曲がり角」(プレストリー)を終えて
その成れの果て・・・・

わがうからやから!

さち枝さん97歳! 今年は34人大集合
2014年1月2日

 幸枝さんは昨年末の12月6日に、97歳の誕生日を迎えました。
 明くる新春、1月2日に、幸枝さんの係累34人が幸枝さん宅に揃いました。その他に3人の係累がいるので、前列右端に挿入しました(上写真)。


さち枝さん96歳! ふたたび37人大集合
2013年1月2日

 幸枝さんは昨年末の12月6日に、96歳の誕生日を迎えました。
 明くる新春、1月2日に、幸枝さんの係累37人が幸枝さん宅に勢ぞろい(上写真)。幸枝さんから36人の子孫曾孫にお年玉が配られました。
 今年は曾孫たちが未来への希望を表現しました(下写真)。名古屋からわざわざ参加してくれた最年長の曾孫が、時間の都合で帰った後の写真になったのが残念なので、最後列左から2人目に、こっそり挿入しました。

 以下は亨氏撮影の正統写真。37人が集合したものと、4兄弟姉妹家別のもの。

さち枝さん95歳! 37人が大集合
2012年1月2日

幸枝さんは昨年末の12月6日に、95歳の誕生日を迎えました。その日は、4人の息子息女とその嫁2人、これに姪子2人も駆けつけてくれて、誕生会を行ないました(左写真)。

明くる新春、1月2日には、幸枝さんの係累37人が幸枝さん宅に勢ぞろい(上写真)。曾孫が1人、記念写真の時間まで付き合うことができず途中で帰ったのですが、この写真には彼を含めて全員が納まっています。これは私の写真合成術の成果なのですが、どこに彼が合成されているか分かりますか?

ともあれ95歳の幸枝さんは、少しだけ物忘れが上手になり、少しだけ転び易くなりましたが、週2回のデイケア通い、週2回の訪問介護を受けながら、まだまだみんなに負けない元気な日々を過ごしています。


さち枝さん94歳 集ったのは33人
2011年1月2日
2011年1月2日
2011年1月1日
今年は総勢37人に増えた幸枝さんの係累は、そろそろ一堂に会することが難しくなってきたのですが、4人をのぞいて33人が1月2日に勢ぞろい。
数かずの写真を撮りましたが、全員がカメラに集中しているのはこれだけ(両手で顔を覆っているNちゃん、ゴメンな)。

里帰りの都合で、この日に参加できなかった4人は、前日の1日に訪れました(写真下)。


前年末に94歳になったさち枝さんを囲んで、お互いの元気を確かめあいました。
長田さんとの再会を報告してきました
2010年3月22日
 お彼岸の墓参りでは、長田紀春さんの編著書「閃光の中で・・・・沖縄陸軍病院の証言」を墓前に供えて、吉野好正叔父とその母吉野ワイさん、鈴木勝さん、鈴木清蔵さんらに、この3月3〜5日に成し遂げた「幸枝さん・美枝さんと長田さんとの再会」について報告してきました。

「閃光の中で」は妹公子がオークションで入手してくれた。


さち枝さん・美枝さんと長田紀春さんの再会
2010年3月3〜5日
3日 ホテルにチェックインしてから  夕食
4日 レンタカーで10時にホテルを出発 10時半〜 長田紀春さん宅を訪問  日航ホテルで昼食をご馳走になる
5日 レンタカーで9時半にホテルを出発 10時半〜11時 陸軍病院南風原壕群20号を見学

さち枝さん93歳 集った35人
2010年1月2日

時間差が生じた3人を含めて総勢35人が全員集合! さち枝さんの曾孫は総勢10人、今年はさらに2人は増える予定。
今年のスナップ写真は、この曾孫たちに完璧にジャックされました(他を撮る間がなかったのです)。
 
曾孫たちの運動場になったさち枝さんの寝室。背後から大々婆ちゃまの鈴木トクさん、吉野ワイさんの優しい笑顔が見守っていました。

2009年9月21日・突然15人の墓参団!
みなさん、ごくろうさま

92歳になったさち枝さんを囲んで 32人が集いました
2009年1月2日

時間差が生じたのですが、2日間で受験生1人を除く32人が集合

曾孫たちとその母たちが勢ぞろい(曾孫は総勢8人、今年2人は増える予定)

そして恒例の「いいお顔」!

2008年1月2日 新春のつどい


2007年4月30日 吉野和意さんの33回忌法要


2007年1月2日 新春のつどい


2006年6月18日 鈴木勝さんの七回忌法要


89歳を迎えたさち枝さんを囲んで
2006年1月2日 25人が集合
 今年は、さち枝さんの曾孫が2人、1/28生の貫志郎くん(左)と8/4生の弘毅くん(右)がお目見え。年齢差は88歳!新しい活気と生命力が溢れました。

 下枠の4人は、時間がずれて集合写真に入れなかった3人(左から)と、欠席した1人(右)。合計26人です。

2005年6月18日 孝枝伯母さん再来
今日はかみさんの
誕生祝をしました

2005年4月30日
還暦と米寿、合計148歳!

吉野わいさん没後30年の日に
(これって「31回忌」ですね)

叔母と従妹ありて
遠方より来たる
また愉しからずや!
2005年4月3日

予の帰宅後、突然藤沢も来たりて、母の家に華やかなる夕べが出現せりと、
2葉の 写真を転送し来たり。携帯電話の画像、ここまで進化せるを驚く。
母88歳の
誕生日を祝う

2004年12月6日

 先月熱海で行なった母の米寿を祝うつどいから2週間あまりが過ぎたが、実は今日が正真正銘の誕生日。
 調布在住の3人がお祝いに駆けつけた。
 私は腕によりをかけて、最近覚えたばかりの「のどごしなめらかな茶碗蒸し」をつくり、娘は特上の小型誕生祝ケーキを、連れ合いは特上の鰻を手に入れてきた。
 母は茶碗蒸しとケーキを残さず食べ、鰻は明日の楽しみに残したが、すこぶる元気で上機嫌だった。
 記念写真は、母と娘が両手で88を表現し、私ら夫妻が、去る熱海のつどいでみんなが書いてくれた寄せ書きを掲げて撮った。後でこの写真を見て驚いたのだが、私の頭の上の位置で、無き父が文字通り「草葉の陰から」見守っていた。楽しい一夜であった。   

  

臨時「敬老の日」 2004年9月23日

   あら写すの?
良く見えないから眼鏡かけるわよ
ドッコイショ!

あら、眼鏡かけたら
カメラの方がピンボケじゃない?

敬老料理は
 メインがぼくの作品?=鰻トロ丼
   左写真の右下、鰻と大和芋、お
   くら、きゅうり、ねぎをたっぷり混
   ぜ合わせた傑作
    それにしても7人前の料理に
   挑戦したのははじめて!
 他は「1品では淋しい」と、連れ合
    いが急遽助太刀。さすがにサ
    マになった。

   

2004年8月21日の集合

携帯電話が普及してます!

 04年7月13日の墓参は一匹の魑魅魍魎が総代で行ないました。梅雨明け宣言のされた暑い暑い午後でした。
 
東京都美術館で「トルコ三大文明展」に行きました (8月25日)
最愛・最強の2人の女性に導かれて・・・

鶯谷の「笹の雪」で昼食、
帰りは上野駅で「ああ上野駅」の碑を見学。
日本の文明も捨てたものではないかな、
とムリヤリ感じた一日でした。
 
 03年8月3日 母とその妹が久々に再会。左端は私の従妹、右端が実はMy Wife
    
                       ▲ 03年7月13日の盆参り(墓地に出現した魑魅魍魎たち?) 

▲久しぶりに母を囲む兄弟姉妹孫ひ孫たち・・・
私の料理

豚肉と小ねぎ&煮野菜(2005年4月13日)


肉キャベツ炒め(2005年4月7日)


初めて焼いたクッキー (2005年3月17日)

ホワイトデーのハンバーグ(05年3月14日)

茄子のバター焼きと刻みキャベツ(04年11月14日)

豚肉とパプリカ・ピーマン・椎茸の炒め物(04年11月4日)

白菜と豚肉の炒めもの(2004年10月21日)

鰻トロ丼(2004年9月23日)

いんげんと豚肉のピリカラ(2004年8月27日)

  猛暑続きの後に、急に涼しくなった一昨夜、また暑
   くなった昨夜・・・・ついに調子を崩して風邪気味に
  なり、思いっきり寝坊をした私に、娘が残してくれた
  置手紙!  私は奮起し、その夕方に右の料理で
  娘をもてなしたのであった。

ロールキャベツみたい!(2004年8月25日)
04年8月5日 茄子ドライカレー

04年6月18日 しつこくゴーヤチャンプル

6月11日 NHK流ゴーヤチャンプルに挑戦

6月7日 豚ナス大根炒め

ふたたび「麻婆ナス」 (2004年6月4日)

ゴーヤ・チャンプル(2004年6月2日)

キャベツとわかめの豚肉サラダ(2004年5月24日)

 
04年5月19日 豚肉のカレー焼き
}04年5月17日 麻婆ナス


豚の角煮?(2004年4月7日)
右は4月9日のやり直し版


レバニラ炒め
(2004年4月2日)

右は2度目のレバニラ炒め(2004年4月19日)

もやしとロースハムの和え物(04年3月8日)

「回鍋肉」(12月24日)

豚肉・いんげん・玉ねぎのピリ辛みそ炒め(2004年2月26日)
10月24日 豚のカルビ焼き
7月26日 ゴーヤチャンプル

7月23日 とうがんと枝豆のマーボー風
▼ いわしとちんげん菜の炒め煮(03/7/11)
  ▼ 「ピーマンと玉ねぎのとろろ浸し」(8月11日)
 ぼくの料理は「どれも茶色っぽくて区別がつかない」というのが定評になっているらしい。だから今日は色彩革命に挑戦。サッとゆでて冷やしたピーマンと玉ねぎを、オーブンで30秒間熱してさらさらになったとろろ昆布を水と醤油で溶いたスープに浸したもの。香りが抜群! 味わっていただけないのが残念。
7月9日 いんげんと春雨の炒め煮
▼ 私の手料理(2003年5月16日夕) ふきとあさりの当座煮、ごぼうと牛肉のつくだ煮、ふきの葉じゃこ(小松菜あえ)

▼ 母の日、母に送った私の手料理2点(2003年5月11日、小松菜と厚揚げの煮びたし、茄子のおかかあえ)

 豚肉のしょうがおろしあんかけ
リタイヤ後にはじめてつくった「まともな」料理」である
  (2002年11月14日)