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元気な母と、母がお気に入りの動画の緑ちゃんと、わが敬愛する姉・弟・妹 この母は、2014年10月20日に父のところに逝きました、享年97歳。 |
1940年
まぼろしのけがれを知らぬ日々なりき |
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生誕100時間のぼくと姉 (1940年10月2日) |
生後100日 (1940年12月22日) |
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1942年4月〜43年9月
宮城県岩沼町南桜小路に居住
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アメリカ帝国主義との たたかいを決意した?頃 |
実父とのツーショット 1944年8月20日漢口にて戦死 享年34歳 |
1942年4月 阿武隈川付近で 姉・父と |
1947年 |
1948年
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4月、1年遅れの袴着(祖父三右衛門と) 村上小学校に入学 |
白山小学校へ転校 |
1949年 |
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浜浦町へ転居の頃 |
1952年 NHK・QK児童劇団のクリスマス |
1953年 |
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1953年春の縁側 |
中学入学を控えたぼくと 小3控えた弟(1953年) |
1954年 関屋中学校2年生の春に砂山で |
1958年
新潟高校・演劇部時代 |
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2月24日予餞会でチエホフの「記念祭」に挑戦 その稽古風景2題と公演後の記念撮影 |
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1958年8月30日 OB公演「危険な曲がり角」(プレストリー)を終えて |
その成れの果て・・・・ |
わがうからやから! |
幸枝さんは昨年末の12月6日に、97歳の誕生日を迎えました。 |
幸枝さんは昨年末の12月6日に、96歳の誕生日を迎えました。 |
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以下は亨氏撮影の正統写真。37人が集合したものと、4兄弟姉妹家別のもの。 | |
幸枝さんは昨年末の12月6日に、95歳の誕生日を迎えました。その日は、4人の息子息女とその嫁2人、これに姪子2人も駆けつけてくれて、誕生会を行ないました(左写真)。 ともあれ95歳の幸枝さんは、少しだけ物忘れが上手になり、少しだけ転び易くなりましたが、週2回のデイケア通い、週2回の訪問介護を受けながら、まだまだみんなに負けない元気な日々を過ごしています。 |
今年は総勢37人に増えた幸枝さんの係累は、そろそろ一堂に会することが難しくなってきたのですが、4人をのぞいて33人が1月2日に勢ぞろい。 数かずの写真を撮りましたが、全員がカメラに集中しているのはこれだけ(両手で顔を覆っているNちゃん、ゴメンな)。 里帰りの都合で、この日に参加できなかった4人は、前日の1日に訪れました(写真下)。 前年末に94歳になったさち枝さんを囲んで、お互いの元気を確かめあいました。 |
お彼岸の墓参りでは、長田紀春さんの編著書「閃光の中で・・・・沖縄陸軍病院の証言」を墓前に供えて、吉野好正叔父とその母吉野ワイさん、鈴木勝さん、鈴木清蔵さんらに、この3月3〜5日に成し遂げた「幸枝さん・美枝さんと長田さんとの再会」について報告してきました。 | ||
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3日 ホテルにチェックインしてから 夕食
4日 レンタカーで10時にホテルを出発 10時半〜 長田紀春さん宅を訪問 日航ホテルで昼食をご馳走になる
5日 レンタカーで9時半にホテルを出発 10時半〜11時 陸軍病院南風原壕群20号を見学 |
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下枠の4人は、時間がずれて集合写真に入れなかった3人(左から)と、欠席した1人(右)。合計26人です。 |
2005年6月18日 孝枝伯母さん再来 |
今日はかみさんの 誕生祝をしました 2005年4月30日 |
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還暦と米寿、合計148歳! 吉野わいさん没後30年の日に (これって「31回忌」ですね) |
叔母と従妹ありて |
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母88歳の 誕生日を祝う 2004年12月6日 先月熱海で行なった母の米寿を祝うつどいから2週間あまりが過ぎたが、実は今日が正真正銘の誕生日。 調布在住の3人がお祝いに駆けつけた。 私は腕によりをかけて、最近覚えたばかりの「のどごしなめらかな茶碗蒸し」をつくり、娘は特上の小型誕生祝ケーキを、連れ合いは特上の鰻を手に入れてきた。 母は茶碗蒸しとケーキを残さず食べ、鰻は明日の楽しみに残したが、すこぶる元気で上機嫌だった。 記念写真は、母と娘が両手で88を表現し、私ら夫妻が、去る熱海のつどいでみんなが書いてくれた寄せ書きを掲げて撮った。後でこの写真を見て驚いたのだが、私の頭の上の位置で、無き父が文字通り「草葉の陰から」見守っていた。楽しい一夜であった。 |
臨時「敬老の日」 2004年9月23日 |
あら写すの?
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敬老料理は |
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東京都美術館で「トルコ三大文明展」に行きました
(8月25日) 最愛・最強の2人の女性に導かれて・・・ 鶯谷の「笹の雪」で昼食、 帰りは上野駅で「ああ上野駅」の碑を見学。 日本の文明も捨てたものではないかな、 とムリヤリ感じた一日でした。 |
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03年8月3日 母とその妹が久々に再会。左端は私の従妹、右端が実はMy
Wife |
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▲ 03年7月13日の盆参り(墓地に出現した魑魅魍魎たち?) | |||||||
▲久しぶりに母を囲む兄弟姉妹孫ひ孫たち・・・ |
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豚肉と小ねぎ&煮野菜(2005年4月13日) |
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初めて焼いたクッキー (2005年3月17日) |
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ホワイトデーのハンバーグ(05年3月14日) |
茄子のバター焼きと刻みキャベツ(04年11月14日) |
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鰻トロ丼(2004年9月23日) |
いんげんと豚肉のピリカラ(2004年8月27日) |
猛暑続きの後に、急に涼しくなった一昨夜、また暑 くなった昨夜・・・・ついに調子を崩して風邪気味に なり、思いっきり寝坊をした私に、娘が残してくれた 置手紙! 私は奮起し、その夕方に右の料理で 娘をもてなしたのであった。 |
ロールキャベツみたい!(2004年8月25日) |
04年8月5日 茄子ドライカレー
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04年6月18日 しつこくゴーヤチャンプル |
6月11日 NHK流ゴーヤチャンプルに挑戦 |
6月7日 豚ナス大根炒め |
ふたたび「麻婆ナス」 (2004年6月4日) |
ゴーヤ・チャンプル(2004年6月2日) |
キャベツとわかめの豚肉サラダ(2004年5月24日) |
04年5月19日 豚肉のカレー焼き |
}04年5月17日 麻婆ナス
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レバニラ炒め(2004年4月2日) 右は2度目のレバニラ炒め(2004年4月19日) |
もやしとロースハムの和え物(04年3月8日) 「回鍋肉」(12月24日) |
豚肉・いんげん・玉ねぎのピリ辛みそ炒め(2004年2月26日) |
10月24日 豚のカルビ焼き |
7月26日 ゴーヤチャンプル
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7月23日 とうがんと枝豆のマーボー風 |
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いわしとちんげん菜の炒め煮(03/7/11) |
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▼ 「ピーマンと玉ねぎのとろろ浸し」(8月11日) ぼくの料理は「どれも茶色っぽくて区別がつかない」というのが定評になっているらしい。だから今日は色彩革命に挑戦。サッとゆでて冷やしたピーマンと玉ねぎを、オーブンで30秒間熱してさらさらになったとろろ昆布を水と醤油で溶いたスープに浸したもの。香りが抜群! 味わっていただけないのが残念。 |
7月9日
いんげんと春雨の炒め煮 |
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▼ 私の手料理(2003年5月16日夕) ふきとあさりの当座煮、ごぼうと牛肉のつくだ煮、ふきの葉じゃこ(小松菜あえ) |
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母の日、母に送った私の手料理2点(2003年5月11日、小松菜と厚揚げの煮びたし、茄子のおかかあえ) |
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▼豚肉のしょうがおろしあんかけ リタイヤ後にはじめてつくった「まともな」料理」である (2002年11月14日) |
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