『労働運動』誌 1992年2月号所載


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日本の生協運動の「基本的価値」を考える
鈴 木  彰 

 一、日本の生協の今日の到達点

 

 

 わが国の生協運動はいま、空前の到達点≠記録しています。全国の生協労働者と生協組合員はもとより、多くの労働者と国民が、生協運動の動向に着目し、それがいっそう民主的・大衆的に発展することを期待しています。

 生協は、労働者・国民の暮らしと権利、地域の自治と民主主義、平和と環境をまもる運動の一環として、また安全な生活資材の安定的確保、円滑で効率的な流通の確立、仕事おこしと雇用の創出・確保など地域経済・国民経済の民主的な発展の担い手として、改めてその社会的役割を問われているといわなければなりません。

 生協運動がこれらの期待にこたえ、社会的役割をはたすことをねがって、いくつかの問題を整理してみます。

 

 1、今日の到達点の意味するもの

 

 わが国の生協は、一九九〇年度に、全国で一、四一四万世帯(十年前の二・一倍)の台所をまかない、その「出資・利用・参加」を組織するにいたりました。班組織も五四〇万世帯を数えています。

 それは、これまで国内でもっとも大きな組織といわれた総評の四五〇万人はもとより、これが同盟に導かれてつくった野合組織「連合」の八〇〇万人をもはるかにしのぐ、空前の規模と言えます。生協はいま、日本の民主運動がかつて経験したことのない規模の組織になったのです。

 全国の生協の事業高の合計は、九〇年度に二兆七、七五八億円に達し、八〇年度からの十年間で二・五一倍という成長を果たしました。百貨店・セルフサービス店など大型小売店の販売額が同じ期間に一・七二倍(九〇年度二〇兆九、四一四億円)、日本の小売総額が七九年度から八八年度の九年間に一・五六倍(八八年一一四兆八、二八九億円)という状況であることを考慮すれば、生協の成長は抜群です。

 こうして生協の事業高は、いま日本の小売総額の約二%をしめるようになったわけですが、事業高の五割は共同購入など無店舗供給でまかなわれ、残り五割が二、四〇〇カ所の店舗(延べ面積一一〇万u)で供給されています。また、事業高の七割は食料品で、この部分では日本の食料品小売総額の四・五%にせまっています。

 全国の生協で働く労働者の数は十一万人(十年前の一・八倍)を数え、その内パート労働者が六万人(同二・二倍)に急増しています。これらの労働者は、生協労連と生協パート懇に六万人、日本医労連などに約一万人が参加しています。

 

 2、はじまっている新たな模索

 

 そしていま日本の生協はこれらの到達点をふまえて、その組織と事業をいっそう強化・発展させるために、さまざまな模索をはじめています。

 日本生活協同組合連合会(日生協)は、九〇年に「二一世紀を展望する生協の九〇年代構想」をうちだし、全国の生協に、「人間らしい豊かな暮らしの創造」を基本に「生活創造型の生協づくり」をよびかけました。

 そして日生協は、九二年秋に東京で開かれる国際協同組合同盟(ICA)大会にむけて、「日本の生協における基本的価値」についての大衆的な討議をよびかけています。

 全国・各地の生協も、それぞれの地域での組織と事業の強化・確立、その運営の改善、県連活動の強化などを模索しています。多くの生協で、生協組合員の知恵と力、創意と工夫にもとづき、住民各層の理解と合意に根ざす組織と事業の確立が探求されています。

 また、少なくない生協が、従来の生協ごとのエリアをこえて「協同組合間協同」や「合併・連帯・再編」を追求し、さらに「県域をこえた連帯」や「リージョナルな連帯」「コモジャパン(店舗近代化機構)づくり」などなど、組織と事業の連帯をめぐる旺盛な検討をすすめています。

 大資本とその政府は、生協をもその支配のもとにくみこむために、たえず懐柔と妨害、きびしい競合などの攻撃をしかけてきますから、生協はある段階での到達点に安んずることはできません。その意味で今日の日本の生協運動の新しい模索と探求は、欠くことのできない必然的なものです。

 しかし同時に、生協資本には大資本の攻撃のもとで、ともすると利潤獲得だけを目的化する傾向と危険があることを忘れてはなりません。新しい模索と探求のなかで最も心を配るべきことは、このような生協資本を、労働者・国民の切実な要求と自主的・民主的・大衆的な「参加」とによって、縦横に制御(コントロール)することです。

 生協労連は、日本の生協の新しい模索について「生協組合員の民主的・大衆的な『参加』のなかで、生協運動の民主的な強化・発展にむかっておこなわれることを期待し、この期待を実現するために、みずからも力いっぱい奮闘する」(第二十四回定期大会)としています。

 

 二、何が今日の到達点をもたらしたか

 

 

 こんごの生協運動のあり方を検討する場合、現在の到達点をもたらした客観的な要因と主体的な要因を正確にとらえることが重要です。

 そうすることによってこそ、情勢全般の総合的・歴史的な認識が可能になり、到達点がどのような位置にあるか、どのような方向にむかうべきかがあきらかになるからです。

 

 1、生協運動発展の客観的な要因

 

 まず、日本の生協運動に空前の到達点・をもたらした第一の要因は、客観的条件の成熟であったことをとらえる必要があります。わが国の政治と経済の腐敗と破綻の進行という客観的条件が生協にも出番をあたえたのです。

 一九八〇年代のこの十年間、自民党政府による大企業奉仕と軍拡優先、国民生活破壊の政策が強力にすすめられ、国民各層に新しい形での状態悪化がもたらされました。大企業が「民活」路線の名による巨大プロジェクトと乱開発、異常円高と低金利政策のもとでの海外進出と莫大な資金調達、株・土地投機による「財テク」「バブル経済」などでまさに暴利をむさぼる一方で、労働者・国民は、長時間・過密労働と低賃金、環境と自然の破壊、住宅問題の極端な悪化、預貯金の目減りなどを強いられてきました。また「臨調行革」路線のもとで、老人医療制度や健康保険制度、年金制度の大改悪をはじめとする、福祉と医療、教育予算の無慈悲な切り下げが強行され、消費税の導入は年間約六兆円、国民一人あたり約五万円もの負担増をもたらしています。

 これら国民生活の圧迫・破壊政策は軍拡政策と一体不可分のものでした。この十年間に日本の軍事費は一・八倍、四兆一、〇〇〇億円を超え、米軍基地の費用負担、いわゆる「思いやり予算」に四、七七一億円も支出しています。湾岸戦争でのアメリカへの資金援助は一兆七、六〇〇億円にものぼりました。これらが国民生活関連予算への圧迫・切り捨てに直結していることは明白です。自民党政府は、さらにアメリカの新しい世界戦略に呼応して、国連協力を口実に自衛隊の海外派兵のため「PKO(国連平和維持活動)協力法案」の強行突破をはかろうとしています。

 また政府・財界は、これらの国民生活破壊・軍拡路線を強行するために、労働者・国民の抵抗を封じる策動を重ねてきました。八九年の「連合」結成に、時の竹下総理が熱い「抱擁」の挨拶を贈ったことに象徴されるように、政府・財界が育成してきた右翼的労組幹部などが、いまや労働組合運動にたいする労働者・国民の期待を破壊しています。

 これらの状況は、日本の労働者・国民各層の熱い期待を生協運動にむけずにおきませんでした。

 

 2、生協運動の「原点」と、発展の主体的要因

 

 つぎに、生協発展のもう一つの要因として、主体的要因の発展を見落とすことはできません。

 たとえば、日生協が「日本の生協における基本的価値」の論議のために提起している「事務局試案」(以下「試案」)は「生協発展の主体的要因」として、@「参加」を重視した「出資・利用・運営」、A「自立」と「協同」、B「地域密着」性、C子育て主婦層の主体者としての位置づけ、D自主性に基づいた連帯活動の地域的・全国的な展開、の五項目をあげています。

 しかしこれらは事業活動の側面だけであり、ここでは、日本の生協運動が生き生きと前進させてきた「平和と暮らし」をまもる国民的な運動の側面が無視されています。

 いうまでもなく主体的要因というのは、そのときどきの客観的条件の変化(政治・経済情勢)のもとで、生協がその組織と運動の性格にもとづいて、みずからの前進と発展のために、どのように主体的にとりくんできたかという問題です。

 では、生協がその諸活動の基礎にすえるべき組織と運動の性格とはどのようなものでしょうか。

 もともと生協は、資本主義体制のもとで、政府・独占資本の国民生活破壊政策の中で、労働者・国民の暮らしをまもるためにこそ存在し、活動するものです。以下にみるように日本の生協運動は、戦後復興の第一歩の時代に、この点をみごとに確認しています。

 一九四五年に創立した日本協同組合同盟(日協)は「協同組合運動が資本主義的経済機構を止揚するものとして進展するがためには、その重要な基盤を労働者および俸給生活者層におかなければならない」と、運動のよってたつ立場を明かにしました。

 日協を継承した日生協は、五一年の創立にあたって「日本における生活協同組合運動の苦闘の歴史を正しく継承する」「平和とよりよき生活こそ生活協同組合の理想であり、この理想の貫徹こそ現段階においてわれわれに課せられた最大の使命である」と宣言し、特別に「われわれは……生活協同組合運動を通じて世界平和と勤労大衆の生活の擁護のためにたたかうことを誓う」という「平和宣言」をも採択しました。

 これら日協と日生協の初心は、戦後生協運動の「原点」ともいうべきものです。

 このような「原点」をもつ生協の組織と運動の性格は、第一に国民の暮らしをまもるために事業をおこなうという側面と、第二に生活防衛とそれにかかわる課題に国民各層とともに民主的大衆運動をおこなうという側面とがあります。

 日本の生協は、この事業と運動の両側面の活動を強化することによって、またそれらが相互にささえあって、広範な消費者と国民の信頼をひろげ、結集を促進して、今日の到達点を築いてきたのです。

 

  三、「原点」をふまえた活動の足跡

 

 

 これらの「原点」をふまえて、生協運動はいま何をしなければならないのでしょうか。

 これまでの生協の主な事業活動と大衆運動をふりかえってみると、そのときどきの暮らしと平和、民主主義にかかわる対決点で、日生協と日本の生協のとった発言と行動は、その「原点」から反れることなく、社会的に大きな役割をはたしてきたことがわかります。

 

 1、国民生活をまもる事業活動

 

 敗戦直後の生協の、国民の暮らしをまもるための事業活動は、食糧危機の中での食糧「買出し」という、のっぴきならない共同購入によって第一歩を踏みだしました。

 きびしい統制経済のもとで設備や経営管理技術を収得し事業活動をおこなうには、商品獲得のための運動、生協として荷受権・配給権を獲得する運動、業界の再販協定に反対する運動などなど、事業活動の条件を切りひらく大衆的な運動を欠くことはできませんでした。また日協は、創立の早々から全国農業会、中央水産会などとともに「生産消費直結中央委員会」を設置して、市場民主化(配給機構の民主化)と直結運動(産直運動)を開始しました。

 これらの事業と運動をとおして、一九四八年には、これらの集大成ともいうべき消費生活協同組合法(生協法)が制定されます。それは、労働者・国民が生協運動をとおして、みずからの暮らしを自主的・民主的・計画的に営んでいくための、基礎的な条件をきりひらいたものでした。

 しかしその後、五〇年代には百貨店を中心とする大資本の商業支配が、そして六〇年代以降は百貨店・スーパーの寡占化と流通再編が、労働者・国民の暮らしに大がかりな操作と再編をくわえ、中小零細商業を整理淘汰します。

 そのもとで生協の事業は、重大な困難に直面しながら、労働者・国民の暮らしの防衛と、その自主性・計画性の回復という切実な課題に直面しました。

 そこで日生協は、労働組合との協力・共闘による事業活動の強化(五四年の日産争議や日鋼・室蘭争議への支援、五五年からのメーデーでの売店活動など)、中小零細商業者との共闘による事業活動の防衛(五六年の百貨店法の制定、五九年の小売商業調整特別措置法の制定)などの活動に力をいれます。五六年には全国消費者団体連絡会(消団連)結成の中心となり、公共料金値上げ反対、食糧管理制度(食管制)まもれ、管理(独占)価格打破、有害商品追放などの活動をとおして「要求し行動する消費者運動」をつくってきました。

 また、六二年の日生協第十二回総会は、「班組織」を基本にすえた活動方針を提起。六〇年代後半には農協・漁協と連帯して「食管制度堅持・二重価格制拡大・自給率増大」の要求をかかげ、農民の立場を理解した米価闘争や公害・有害食品追放の運動の壮大な広がりをつくりだしました。

 これらの運動は、牛乳の集団飲用運動や産直運動を大きく前進させることにつながりましたし、さらに「CO−OPソフト」(六六年)を皮切りとする「CO−OP商品」の大衆的開発運動、清酒直買運動(六八年)など、生協独自の事業活動を強化することにもむすびついていきました。

 七三年の日生協第二十三回総会は「国民食糧の確保についての決議」で「消費者には消費を拡大しうる安い価格を。農民には生産を発展させうる価格を。つまり二重価格制の確立を主要食糧について要求していきましょう」と訴えました。また同年、国鉄・健保値上げ反対、「物不足」糾明のたたかいが多くの生協でとりくまれ、七四年に結成された「インフレ共闘」は日生協が幹事団体となり、七五年からは生協が中心になって「灯油裁判」を開始しました。また日生協は「無原則的な食糧の輸入自由化反対」をはじめ生活破壊の自民党政治と対決する立場をあきらかにし、八〇年には「物価値上げ反対・生活防衛年」を提唱。「物価値上げをやめさせる政治を実現させましょう」などの提起もおこないました。

 

 2、生活防衛にかかわる大衆運動

 

 一九五四年のビキニ事件に端を発した原水爆禁止署名には各地の生協がとりくみ、日生協も、日本原水協にその結成時から参加し、世界大会にも代表をおくりました。

 六〇年の安保条約改定時には「軍備と戦争をおしつけ、独占を強化し、生活の窮乏化をもたらす安保条約改定にあくまで反対」との日生協決議にもとづき、多くの生協が「閉店スト」などにたちあがりました。七三年の小選挙区制導入策動にたいしても日生協は即座に「抗議決議」をおこない、小選挙区制粉砕中央連絡会の幹事団体をひきうけて全国に運動を組織しました。

 また七八年からは、原水爆禁止世界大会準備委員会にくわわり、大会に多くの組合員をおくるようになりました。再び運動への妨害と分断攻撃が強まった中でも日生協は、八四年世界大会の「東京宣言」が「核兵器廃絶を人類の死活にかかわる緊急課題」として核兵器固執勢力を包囲する世論と運動の高揚を訴えた時には、これを「学び、理解を広げていくことが重要」との態度をあきらかにしました。八六年に総評と「原水禁」が原水禁世界大会から脱落した後も、日生協は世界大会からは離れましたが、原水禁運動の中心課題である核戦争阻止、核兵器の廃絶、被爆者援護法の制定という「三つの願い」をかかげ、反核平和運動にとりくんできました。

 九一年末の臨時国会衆院特別委で、自民・公明両党によってPKO協力法案が強行「採決」されたのを契機に、日生協は「昨年の湾岸危機以来、戦争の平和的解決をもとめ、九〇億ドルの多国籍軍への資金協力に反対するなど、多くの市民団体とともに共同行動をおこなってきました」「私たちは自衛隊の海外派兵をもたらすPKO協力法案に反対します」との常務理事会声明を発表しました。

 

  四、もう一つの「原点」  経営偏重の破綻と福島総会

 

 生協運動前進の客観的要因と主体的要因、その前進をささえた数かずの活動についてはすでにみました。

 ここではとくに、生協運動が重大な「破綻」を経験し、そこから貴重な教訓をひきだした一九七〇年前後の時代をふりかえっておきたいと思います。

 当時と酷似した激動の情勢のなかで、生協運動が、少なくとも大きな誤りを二度とくりかえさないために……。

 

 1、「地域政策」と「高速成長路線」とその破綻

 

 六八年の日生協総会は「首都圏をはじめとする地域政策づくり」を決議しました。それは「小売業界の大資本化・シェアーの拡大のなかで、生協運動の社会的にはたすべき役割についていっそう厳しくとらえること」を強調。ビッグストアの経営戦略に対抗する生協の課題として、@大衆運動と組織力の圧倒的強化、A食品供給・管理の強化、B経営政策・管理技術の改革、C人材の確保と養成の四点をかかげました。

 これは「地域政策」とよばれ、函館・盛岡・宮城・鹿児島などでの二十近い生協の新設、いわき・由利など職域生協の地域生協化をうながし、各地の各生協で、班など基礎組織の強化、日用品・食料品中心の店舗活動、共同購入活動の拡充などの貴重な成果をあげるきっかけになりました。

 しかし同時にこの「地域政策」は重大な弱点をもっていました。日生協発行の文書は「既存の生協にせよ新設生協にせよ社会的影響力を持ち拡大再生産できるために」として、@一五〜二〇%ていどの年成長率では、望ましい拡大再生産と市場競争力の確保はできない、A人口停滞中の中小都市でも三〇%、県庁所在地では五〇%ていどの成長率が望ましい、B人口五〇万以上の都市に新設された場合は少なくとも五年間は一〇〇%以上、すなわち年々倍々と幾何級数的に拡大していく急速成長性が必要である、という「急速成長路線」を提唱しました。

 この路線は、生協の民主運営の破壊、生協労働者へのしわよせ、中小零細生協を強化することの軽視、共同購入活動の軽視などの風潮をひろげ、ついには「落下傘方式」などという空想じみた論議にまで発展していきました。

 これらの動きにたいして、当時の生協労連は「生協の陣営内に一種の偏向があらわれています。端的にいえばそれは組織不信ないしは軽視と、経営偏重の傾向です」(七〇年、第三回定期大会)と指摘し、経営偏重・役職員請負主義にたいするたたかいをよびかけました。

 この「地域政策」と「高速成長路線」は、六九年から七〇年にかけて、供給高は二倍前後にのびながら自己資本構成比は一〇%そこそこ、純剰余はゼロという不安定な状態が多くの生協であらわれるなど、やがて重大な困難を生協運動にもたらしました。五年間で三三店舗(二万六千u)の出店、年一二〇億円の事業高を達成して「急速成長路線」のメッカとされていた札幌市民生協も、四億円の資金不足におちいったのでした。

 

 2、「福島総会結語」がもたらした「原則復帰」

 

 一九七〇年に福島で開催された日生協第二十回総会は、二年間にわたった「地域政策」に反省をくわえました。同総会の結語は「生協運動は本来、組合員に依拠し民主的運営を貫徹することが何より大切であり組合員組織の充実こそが生協発展の基礎である」とのべました。

 いま、新しい情勢のもとで「福島総会結語なんていつまでも金科玉条のように言いふらしているけれども、あのとき……ほんとに……みんなが力を合わせたか」などという発言も聞かれますが、それは天につばするものといわなければなりません。「福島総会結語」は、翌七一年の日生協第二十一回総会で「地域政策」問題の総括として具体化され「生協の強化・拡大ということを事業規模の拡大、チェーン化、合併という単純な経営面」の問題として理解するのでなく「その評価の基準を『出店・拡大』などからさらに……消費者運動強化の観点にまでひろげてゆくことが必要」という確認に発展させられた、全国の生協の入念な論議をふまえた「れっきとした合意」だったのですから……。

 また、この二十一回総会で札幌市民生協が、苦く貴重な経験にもとづいて「自己資本の過小のなかでの過大な投資とそれによる財務構造の悪化は急速成長政策の本質であり」「破綻の前に路線を自律的に変更することは非常に困難」であったこと、「急速成長路線は、みずから生み出した組織はもとより、日本の生協運動の長い歴史が残してきた運動の成果を……押し流してしまいかねない危険を……内包」していることなどを文書で裏づけたことも忘れるわけにいきません。

 「福島総会結語」いらいの生協の「原則運営」復帰が今日の空前の到達点≠つくりだす大きな契機となったことをだれが否定できるでしょうか。そして、この「原則運営」こそ後に見るように、ICAのマルコス会長が「参加・民主」の手本として高く評価するものなのです。

 

 五、重要な役割を担ってきた生協労働者

 

 

 生協運動の発展を確かなものにするうえで、生協で働く労働者と労働組合の役割は重要です。

 すでに見たように、生協運動の生命線は民主主義です。官僚主義や命令主義、請負主義や形式主義などは、生協運動をその足元から損なうものですが、これらの歪みが発生したときに、生協労働者は「合理化」や労働強化、諸権利の破壊など、もっとも明瞭なかたちでの損失をこうむる立場におかれています。生協労働者のこのような立場は、生協の正しく健やかな発展への願いと力を持っています。

 生協運動を民主的・大衆的に発展させるうえで、このような生協労働者の願いと力を正しくひきだすことが重要です。

 

 1、生協と生協労働者をどう見るか

 

 生協労連は、結成の翌年(一九六九年)から毎年「生協研究会」を開催し、生協職場の実態の中から生協労働者の立場と役割についての解明につとめています。そこでは従来、おおまかにみれば以下のようなかたちで「生協労働者の二つの使命」ということがいわれてきました。

 1、生協労働者の職場である生協は、@労働者とその家族の切実な要求にもとづく自主的な相互扶助と生活防衛の運動をにない、労働組合や労働者政党と共同して労働者の階級闘争の一翼を構成してたたかう性格(階級性)と、A資本による搾取と収奪にたいし、労働組合や労働者政党とは異なるやり方、つまり「搾取・収奪の結果」としての賃金・家計の一部分をよせあい、これを資本として機能させ、利潤を獲得して家計に還元するという方法で対処する性格(資本性)という「相矛盾する二つの性格が結合」したものです。

 2、生協がおこなう事業は、資本主義の経済法則の貫徹を前提とするものですから、@それ自体として搾取と収奪を制限するものではなく、大資本の側から懐柔される危険性(限界性・危険性)も内包し、A資本家的・私的所有よりも社会化された所有形態としての「協同組合的所有」による資本の民主的管理は、その事業にたいする労働者・国民の共感と納得を育てる可能性(優位性・可能性)も持っています。

 3、このような生協の危険性を克服し可能性を花開かせるために、生協資本に、@生協組合員の要求と自主的な結集にもとづく民主的・大衆的な管理(協同組合的管理)、A業務と運営にかかわる生協組合員・生協役職員・地域住民・取引業者などの共感と納得にもとづく多面的・集団的な管理(統一戦線的管理)、B生協労働者の階級的自覚と地域・全産業労働者との団結にもとづく労働者的管理(階級的管理)を強化する必要があります。

 4、これらをふまえて生協労働者は、@みずからの労働条件と働きがい生きがいをまもり、労働者階級の一員として団結し労働組合運動の階級的・民主的な強化・発展のためにたたかう使命(一般的な使命)と、A生協組合員の生活と権利をまもり、生協運動の民主的・大衆的な強化・発展のためにたたかう使命(専門的な使命)という「二つの使命」を持っています。

 

 2、生協労働者の今日の願いと課題

 

 このような「二つの使命」をめぐる論議は、さらに去る九月の生協労連第二十四回定期大会で、生協運動の新たな到達点をふまえて、以下のように一歩発展させられました。

 1、一般的使命に関して……「国民の七割をしめる労働者がどう動くかによって、社会は決定的な影響を受けます。また劣悪とはいえ労働者の賃金は、国民総生産の五割強をしめていますから、それがどう変化するかによって、日本経済の構造は大きく変わります。労働者の利益をまもることは国民の生活と権利をまもることであり、国民経済をまもることです。生協労働者の『一般的使命』の基本は、この課題をなしとげることに他なりません。パート労働者など多様な雇用形態のなかまもふくめて、全国・全産業の労働者と手をとりあって、労働者と国民の利益をまもりぬくかどうかが、いま私たちに問われています」。

 2、専門的使命に関して……「そもそも生協組合員が運動と事業に『参加』する現場で働く生協労働者のしごとと労働は、組合員の『参加』を組織し保障するオルグまたはパイプの役割をはたすべきものです。生協労働者の『専門的使命』の基本は、そのような労働の場を獲得し確立するなかでみずからの労働能力を高め、その労働をとおして生協運動を、労働者・国民の切実な要求にもとづく運動として民主的・大衆的に強化することにあります。それを基礎に、生協組合員・地域住民の豊かな団結力で制御された生き生きとした生協事業を育てることです」。

 

 3、労働条件改善の重要性

 

 生協のしごとは、次から次へと「効率的」にやればよいというだけのものではありません。生協組合員にとって生協労働者は、安心して実務を委ねることができる「プロフェッショナル」というだけではなく、自覚と確信に満ちて、どんな問題にも笑顔で、必要なときはとことん、話し合うことのできる頼もしい「パートナー」であるべきだからです。

 また、生協組合員の自主的な活動は、それが活発であればあるほど、休日も昼夜の別もなく、しかも多様におこなわれます。生協労働者が生協組合員の「参加」を組織するパイプの役割をはたすためには、生協労働者が、そのような自覚と必要な労働能力をおおいにたかめ、これらの活動に積極的にかかわっていくことが欠かせません。

 人と人、暮らしと暮らしをむすびあわせる、このようなしごとは、真剣にとりくめばとりくむほど多大な労働力を消費するしごとです。当然のことですが、消費した多大な労働力を再生産するには、十分な休養が必要ですし、家族をふくめた健康にして文化的な暮らしの保障も欠かせません。社会生活、つまり地域での自治活動や労働組合での諸活動にも積極的に参加できなければなりません。

 ところが生協労働者が、このようなしごとを首尾よくなしとげようにも、生協の職場の現実は、日生協の九一年度運動方針も「労働時間の短縮と賃金引き上げが人材確保上の鍵」と強調しているように、労働者の人数も少なく、その労働条件もあまりに劣悪です。

 生協労働者に「二つの使命」をはたしうる労働条件を保障することと、生協組合員の民主的な「参加」を発展させることを、一つのこととして追求する必要があります。生協労連の第二十四回大会決定も「生協を人間らしく働きつづけられる生涯の職場とするような基本的価値の論議がいま強く求められています」と述べています。

 

 六、新たな模索の中でのいくつかの問題

 

 

 ところでいま、新たな模索と探求に着手している生協運動は、いくつかの重大な問題に遭遇しています。それは、処理の仕方によっては、生協運動と生協組合員・生協労働者の未来を大きく左右する重大な問題です。その主要なものについて以下に指摘してみます。

 

 1、民主運営軽視の傾向に警戒を

 

 第一の問題は、これらの模索が「企業秘密」や「経営専決事項」としてあつかわれ、労働条件に重大な影響を受ける生協労働者にさえ、重要なことはほとんど知らされていない場合が多いことです。

 日生協も「問われるトップの姿勢」を強調し、まじめな生協トップも、そのような責任への自覚を強めていますが、それが生協運営における「トップ請負・役職員請負」をまねくことをきびしくいましめなければなりません。

 生協組合員不在、生協役職員請負、生協労組軽視などの非民主的な運営は、生協運動が広範な生協組合員・生協労働者の持つ知恵と力を結集することを不可能にし、いっそうのトップ請負への悪循環をもたらします。多くの生協労働者と生協組合員が、生協運営からの疎外感を深めていることを軽視すべきではありません。

 第二の問題は、これらの模索が、流通規制緩和を背景とする「生き残り競争」への対応などの、過度に思い詰めた情勢分析にもとづいている場合が少なくないことです。

 それは、労働者・国民の困難のみなもとに、強大な独占資本とその政府の支配があるという現実から目をそむけた、きわめて偏狭な情勢認識といわねばなりません。労働者・国民の切実な要求をはばんでいるのは、単なる企業の「生き残り競争」≠ナはなく、大企業奉仕と軍拡優先、国民生活破壊を基調とする政治と経済だからです。

 先に指摘した民主運営の軽視も、このような情勢認識から必然的に生まれてきます。

 困難のみなもとである強大な敵から目をそらすと、民主運営の徹底による圧倒的多数の結集の大切さが見えなくなります。そしてこのような認識に立ってつくられる政策は、いきおい経営偏重・役職員請負主義におちいることになります。

 いかに企業競争がはげしく、経営環境がきびしいからといって、情勢の特定の断面、たとえば流通情勢だけ、しかも競合をめぐる情勢だけをとらえて生協運動の進路を決めるわけにはいきません。

 これら第一、第二の問題は、このまま放置すれば、相互に増幅しあうという悪循環におちいり、生協の組織と運動の質にまで重大な悪影響をおよぼすものに他なりません。

 

 2、問われる生協としての政治路線

 

 第三の問題は、このような民主運営軽視と偏狭な情勢認識との悪循環ともむすびついて、生協としての政治路線に軽視できない動揺が生まれていることです。

 たとえば、日生協の先の「試案」は、「『産業優先から生活優先へ』という今日の時代の流れの中で、独占的企業といえども生活者の要求を無視できなくなっている」との情勢認識に立って、「行政との情報交換のパイプをつくることが当面の課題……行政の助成措置等……も検討していくことが必要」「生活課題の政治への反映については、反対・抵抗だけでなく……、より主体的・創造的な政治とのかかわりを追求する」「特定政党に対して従属的な関係になることは将来とも認められるべきではない。しかし現状では……制約的になる実態もある。組合員の思想信条の自由の保障との関係を整理しながら、政治的主張を強めるための制度のあり方を検討する必要がある」と述べています。

 回りくどい言い方をしていますが、これを分解してその意味を要約すると「独占資本や行政は生活優先の姿勢に変化したので、生協も反対・抵抗だけでなく、行政との協調(情報交換や助成措置)を追求し、特定政党(政権党・自民党)への従属関係についても否定するだけでなく、政治的主張を強めるため検討する必要がある」ということになります。ここには二重の意味で不正確な認識があります。

 ひとつは情勢認識の不正確さです。独占資本や行政は決して「生活優先」に変化したわけではありません。政府・独占が、労働者・国民のたたかいを無視できず、少なからぬ譲歩をするという現象はあっても、それは他ならぬ労働者・国民の「反対・抵抗」闘争の成果なのであって、決して政府・独占の姿勢の変化とはいえません。そのことは今日、政府と独占が、生活・福祉から公害・環境・資源・食糧・平和にいたるまでの多様な分野で破壊的な政策を強行しながら、汚職と腐敗にまみれている事実からも明らかです。

 ふたつ目は課題認識の不正確さです。独占資本や行政が変化していないとなれば、それにたいする「反対・抵抗」のたたかいを軽視することはできません。自民党政府の悪政とたたかわずに、労働者・国民の要求を政治に反映させることは決してできません。

 これらの不正確な認識を放置するならば、生協は、その生命線である民主的・大衆的な団結の力を軽視し、政権党や行政への迎合や組織的従属への道をたどりかねません。特定の政党や権力に従属することは、生協運動の自殺行為です。

 かつての総評が、「反対・抵抗だけでなく」自民党政府の政策の枠内での「労働者の要求の反映」を唱えて、結局「解体」していったことを想起すべきです。もちろん生協の組織的性格は総評とは違いますが、運動の目的とそれをささえる民主的・大衆的な力を見失ったとき、その運動が「解体」しなければならなかったという教訓は重要です。

 

  3、生協資本への民主的制御を

 

 第四に、生協資本を生協組合員からの「自立」に導きかねない政策が論議されている問題にもふれざるをえません。

 生協の事業は、いわば「組合員による、組合員のための事業」であり「非営利事業」です。このような生協事業をささえる生協資本は、生協組合員の拠出を中心に調達する「組合員みずからの事業のためのみずからの資本」です。

 このような生協資本を充実する決定的な要素は、量的にも質的にも「生協組合員の生協への結集の度合い」です。組合員がふえれば、生協資本も全体として成長します。組合員の利用がふえることも、組合員が事業の発展を望んで出資金を増額することも、生協資本の増加につながります。

 ですから、生協資本の調達には、生協組合員の「出資・利用・参加」を拡充すること、つまり生協組合員の拡大と組合員としての意識の向上をはかることが欠かせません。

 ところが「試案」は、「店舗展開の本格化に伴って大規模な投資をおこなう必要が増す中で、資本調達とその運用は大きなテーマ」であるとして「引き続き出資金と内部留保、借入金」をポイントとしつつ「『財テク』が一般化し、組合員の財産保全要求が高まる中で、生協の信用事業を認めない法制度の枠組み」を「資本調達という面からも検討すべき」だといっています。つまり、店舗展開のため組合員の出資では間に合わないから、「財テク」資金も集めて、もっと大きな資金が調達できるように、生協が「信用事業」をおこなうことを認めよというわけです。

 生協が信用事業をおこなうということは、組合員の預金を預かり、これを大規模な投資を必要とする生協に貸し付けるということです。本来の生協資本は、集団的・協同組合的所有者としての生協組合員によって民主的にコントロールされるものですが、信用事業を通しての組合員と生協との関係は単なる「預金・貸付」の関係でしかありません。組合員からみれば、利息が保障されればよい預金でしかなく、貸付を受ける生協からみれば、組合員からどんなに遊離した運用をしても、金利さえ支払えば、だれにも文句をいわれない資金ということになります。

 このように生協資本を生協組合員から「自立」させることがもたらす危険に無神経であってはなりません。そのような「自立」の無原則的な進行の向こうには、生協の株式会社化の危険が待ち受けているからです。

 この問題に関連して、「試案」が「員外利用禁止制度のあり方を検討することも必要」としていることについても、一言ふれておきます。生協組合員以外の不特定多数の人々に事業の利用を認めるかどうかについて、自主的な組織である生協が、自主的に決めたいという素朴な意味では、組織の外から法的におしつけられる「員外利用禁止制度」などは、本来は無い方がよいにちがいありません。

 しかし、広く「員外利用」をよびかけることが、今日の生協の自主的な発展にとって必要かといえば、そうではありません。組合員以外の人の利用が剰余金を生み、資本が増加するという資本構造は、組合員から生協資本が「自立」していく方向を促進することにつながるからです。

 後にみるようにヨーロッパでは「構造改革」路線による大型店舗展開、大規模投資を他人資本に依存し「員外利用」を拡大するなど、生協資本の組合員からの「自立」傾向を強めたことによって、深刻な危機を経験しています。たとえばイギリスでは、税制上の優遇措置をやめるのと引き換えに「員外利用」を認めるという制度的な改変がおこなわれたこともあって、「員外利用」が八〜九割もしめる結果になり、組合員の減少がつづいています。このように「員外利用」への過度の依存が、生協運動の自主性を損なった現実から学ぶ必要があります。

 

 六、海外からも高まる期待と関心

 

 

 日本の生協運動の動向は、いま世界的にも大きな注目をあびています。

 政治と経済の腐敗と破綻の「底無し沼」に深くはまりこんで、労働者と勤労消費者に重大な困難をもたらしているのは日本だけではありません。それは、アメリカをはじめとする資本主義世界全体の傾向です。また深刻なことに、資本主義の害悪を批判し、これを克服するはずの「社会主義世界」もまた、同じ「沼地」に足をとられて、社会主義の大義を見失っています。

 とくに近年、困難におちいっているヨーロッパの生協運動にたいして、日本の生協運動は計り知れない示唆と激励をもたらしているといえます。

 

 1、国際協同組合運動の「原則復帰」を

 

 国際協同組合同盟(ICA、一八九五年創立)が、九二年の大会(第三十回大会、十月二十七日〜三十日)を東京で開催するのも、日本の運動にたいする国際的な関心を反映しているといえます。東京大会のメインテーマは、八八年のストックホルム大会でのマルコス会長の報告を受けて「協同組合の基本的価値」とされていますが、実はこのマルコス報告は一九六〇年代以降の運動の歴史的な総括をふまえて、国際協同組合運動の「原則復帰」をよびかけたものです。

 一九六〇年のローザンヌ大会でのボノウ報告は、「流通革命の進行」にともない激しい競争に遭遇しているので、協同組合は「小売・卸売の各段階での合理化を促進すると同時に生産と流通とを能率的に結合する方策を確定すべきである」として、「若い世代」の消費者のニーズを満たすために、消費者協同組合の「店舗」のデパート化やスーパー・マーケット化の促進、協同組合の「構造改革」=「水平的・垂直的大規模統合」をすすめることを提唱しました。

 このボノウ報告にもとづく実践は、とくにヨーロッパで、生協の事業拡大を促進する役割をはたしましたが、七〇年代にはいると、あるものは経営不振や組合員減少に悩み(イギリス)、あるものは倒産し(フランス)、またあるものは流通独占に吸収され(オランダ、ドイツ)るなどの停滞と、困難な経過をもたらしました。

 

 2、日本の経験を世界に

 

 八〇年に開かれたモスクワ大会で報告にたったレイドロウ博士は、ボノウ報告にもとづく「構造改革」路線の問題点を指摘しました。博士は、これまでの協同組合が、「善良で崇高な運動として大衆のなかに定着」し、その組織や運動にたいする「信頼性の危機」を克服してきたこと、西ヨーロッパ諸国では「半世紀以前に存在したような経営の危機(つまり前近代的な経営状況=筆者)」を払拭してきたこと、などを評価したうえで、いま新たに、事業の「水平的・垂直的大規模統合の行きすぎ」がもたらした「経営の危機」が深まっていること、それは協同組合を「思想的な危機」にさらしていることを指摘し、「経営が効率の増大と節約のために集中化されなければならない場合でも、政策決定は民主的管理を保持するために分権化されなければならない」という警告を発しました。

 先にふれた八八年のマルコス報告は、これらの総括的な論議のうえに、改めて国際協同組合運動のあり方について、その原則を提起したわけです。

 マルコス会長は、一九八〇年代を「資本主義市場経済が誇示された十年であり、その急成長は資本主義に反対する者にとってすら以前にも増して誘惑の種となった」年代と特徴づけつつ、しかし「国際株式市場での株の乱高下や消費を美徳とするような浪費経済が、地球資源を枯渇させ、生態系を破壊し、酸性雨を降らせ、砂漠化を進めている」と警告。「一定の秩序をもって生産と消費を考えていく自主的協同組合運動の現代的必要性が一段と増した」と強調します。だから協同組合は「参加・民主・誠実・配慮」をその「基本的価値」とし、とくに「参加・民主」については日本の生協に学ぶ必要がある、というのがマルコス報告の核心です。

 いま日本の生協は、グローバルな規模で「原則復帰」を論議しようとしている国際協同組合運動にたいして、「福島総会結語」いらいの経験を返していくという国際的役割を持っています。この役割をはたすためにも、みずからきりひらいた「原点」と、そのうえに築いてきた歴史と伝統を踏みはずすことなく、みずからも原則的で新鮮な運動をくりひろげなければなりません。

 このような国際的役割と社会的役割をはたすこと、これこそが日本の生協の「基本的価値」に他なりません。

 

                             (すずきあきら・生協労連書記長)