退役(リタイヤ)後の
わたしのくらしぶりを報告します

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定点観測「うちの庭」

83歳!  2023年9月29日からの私 



2024年1月1日
   新年のごあいさつを申し上げます



 コロナ禍も終息したとは言えない上に、長年におよんだ失政が恐るべき物価高 を庶民の暮らし蓋をしています。ロシアによるウクライナ侵略戦争が長引いてい る上に、イスラエルによるガザへのジェノサイド的爆撃が加わり、世に「戦争の 惨禍」が覆いかぶさっています。
 自らが侵略戦争を推進し内外に悲惨かつ莫大な犠牲を及ぼした反省に立ち「戦 争の惨禍が再び起こることのないようにする」と決意してから77年。わが国の 為政者は、紆余曲折はあっても、反戦と平和を基調としてきたはずでした。とこ ろがいま彼らは、いのちと平和が重大な危機にさらされていることには目もくれ ず、「同志国?の結束による核抑止力の拡大、軍拡財源確保と防衛力倍増、原発 推進による核保有、国民を効率よく管理するマイナカードなど向かってまっしぐ らです。これらは日本と世界を「新しい戦前」に導くものであり、大戦で失った 父と叔父を惜しみ、戦後の多様な辛酸を舐めてきた私を含む私たちの世代には、 とうてい受け入れることのできないものです。
 加えていま、為政者たちが、戦場で奪われる子どもたちと市民のいのち、破綻 に瀕する暮らしと福祉、地球規模で深刻化している気候と環境の危機を顧みるこ ともなしに、「政党助成金」の奪い合い、政治資金パーティーでの裏金づくりな ど「金権・腐敗」の極致に立っていることが明らかになりました。
 「いくら何でも許せない」の思いを全世代のみなさんと共有し、この数年、妨 害され苦戦を強いられてきた「市民と野党の共闘」を何としても建て直し、政治 を「日本国憲法」の軌道のうえに戻したいとの思い切なる新年です。
 私は今年84歳となります。友人・知己との別離、その苦痛と悲しみはいや増 すばかりですが、淡々とこれを受け止め、生あるうちにやれることをやるのみ! との悟りを磨いています。
 私は元気ですが、先だったみなさんを偲ぶたびに、私自身がいつ旅立つことに なっても悔いのない日々を送ることと、長年にわたってお世話になったみなさん への「心からのお礼の先渡し」をすることを心掛けざるをえません。みなさんが ご健勝で幸せな日々をもっともっと積み重ねられて、願わくば「わが亡き後に」 ゆっくりと悔いのない旅立ちをしていただけるよう念じています。


82歳!  2022年9月29日からの私 




2023年1月1日
   新年のごあいさつを申し上げます



 岸田政権は昨12月16日に「戦後の安全保障政策の大転換」を唱える「安全 保障3文書」を閣議決定しました。戦後の歴代政権がとにもかくにも建前として きた「専守防衛」と「軍事費へのGDP1%枠」を投げ捨て、「敵基地攻撃能力 の保有」「軍事費倍増」「大軍拡と憲法改悪」に踏み出すものです。加えて岸田 政権は、福島での原発事故後の「原発依存低減、新規の原発建設抑制、運転期間 原則40年」の政策を一気に転換し「原発の最大限活用、再稼働・建設・推進」 を宣言しました。これらが国民に、医療・介護・年金・社会保障の大抑制と大増 税をおしつけ、いのちとくらしを踏みにじるものであることはいうまでもありま せん。

 この間の総選挙・参院選で議席の多数を獲得できたのを良いことに、国民の願 いと国会での審議を無視・排除して行われるこれら空前の暴走をこのまま放って おいていいのでしょうか? 「いくら何でも許せない」という思いは、保守系の 人びとも含む全国民に共通するものではないでしょうか? 私は82年余り、不 戦・民主主義へのねがいを掲げ、これを実現する時代の流れを確信して生きてき ましたが、この人生に冷や水を浴びせるような事態に驚いています。「いくら何 でも許せない」の思いを全世代のみなさんと共有し、この数年、妨害され苦戦を 強いられてきた「市民と野党の共闘」を建て直す必要性と可能性を、何としても 掴み取りたいと、本気で考えている新年です。

 そうは言っても、昨今とりわけコロナ禍での3年は、加速度的に増える友人・ 知己との別離! 私が「八十路」を歩んでいる中での運命的なものでもあるので しょうが、これには少なからぬ苦痛と悲しみを噛み締めています。悪あがきはせ ず、一種の悟りもしくは諦観に身を沈め、淡々と、生あるうちにやれることをこ なしていきたいと願う今日この頃です。あなたはご健勝で幸せな日々をもっともっと積み重ねられて、願わくば「わが亡き後に」ゆっくりと悔いのない旅立ちをして下さいね。


81歳!  2021年9月29日からの私 




2022年1月1日
  明けましておめでとうございます



 奇襲ともいうべき短期決戦を強いられた第49回総選挙に、立憲・国民・共産・れいわ・社民の野党5党は野党共闘で臨みました。小選挙区の7割以上=213選挙区で候補を一本化し、62選挙区で勝利しました。さらに53選挙区で惜敗率80%以上という接戦・激戦を繰り広げました。比例区も含めると5党の議席は差し引き11減となりましたが、自民・公明の差し引き13議席減を考慮すれば、野党5党が「政権交代」に肉薄したと言えます。
 では、与・野党双方が減らした議席はどこに行ったのでしょうか? 実は与党と野党共闘を批判する「与・野党斬り」という便宜的な手法で票の流れを掬い取り30議席も増やしたのが維新です。維新は自民と癒着して改憲を推進する危険な勢力ですから「緊急事態」ですが、その「与・野党斬り」が国民をとらえ続ける普遍性はありません。補償抜きで自助・自粛を押し付ける「コロナ対策」、いのちと暮らしを犠牲にする金権・腐敗・政治とカネがもたらす被害への国民の怒りは底知れないからです。  7年8か月続いた安倍政権をコロナ禍のたたかいで倒し、その1年後に菅政権を潰し、さらにいま岸田政権を解散に追い込んできた流れの中でとらえれば、国会議席の多数を良いことに強行採決で悪法を推進している安倍・菅・岸田政権に「政権交代」を迫る歩みはとどまるものではありません。
 ところが岸田政権は、昨年末に過去最大=約36兆円の補正予算を成立させました。コロナ禍で窮迫する人びとには届かない給付金、ケア労働者・介護士・保育士への一桁違いの賃上げ、他方で台湾の大手半導体企業の日本誘致にはたっぷりの補助金、2021年度本予算と合わせ6兆円を超え、GDPの1%枠を突破する軍事費、沖縄辺野古の米軍新基地建設や兵器購入の莫大な費用。どこをとっても、コロナ禍で立て続けに破綻したアベ・スガ政治への反省がなく「いのち」より「軍拡と改憲」を優先する中身です。
 しかもこの補正予算に続いてこの政権は12月24日に、一般会計総額108兆円におよぶ2022年度政府予算案を閣議決定し、今年最初の国会でその成立を狙っています。コロナ対策には予備費5兆円を計上しただけで、医療・検査・保健所の拡充などの対策は不十分なうえに、病床削減、診療報酬削減高齢者の医療費負担の2倍化など社会保障費をあくまでも抑制。軍事費には10年連続の増額となる5.4兆円を計上し、「9条改憲」の動きとも連動して、国民に重い負担を押し付ける大軍拡をめざしています。
 与党とメディアは、先の総選挙で、自民党が過半数の議席を維持し、「改憲勢力」が3分の2を超えたことをもって、野党共闘は「失敗」し、岸田政権は国民の信を得たと強弁し、補正予算と2022年度本予算案を正当化しようとしています。この強弁に煽られて共闘した5野党の1分に動揺も産まれています。しかし「政権交代」こそ果た瀬ませんでしたが、確かな勝利と多数の惜敗で与党を震撼させた小選挙区での野党共闘は、展望に満ちています。奇襲的な総裁選と総選挙作戦、選挙制度のカラクリを利用して手に入れたに過ぎない議席の多数を乱用して強行する「国民不在、いのちと暮らし軽視」、コロナ対策より軍拡・改憲に走る与党の政治は、総選挙で正当化されたものでは決してありません。それどころか、市民と野党が希望を持って共闘を深化・発展させ、「あと一歩」というところにきている転換を、本気で実現する必要を私たちに訴えているではありませんか。
 新型コロナウイルスの完成医拡大は収束に至らず、人類の苦難と不安は継続していますが、核兵器禁止条約の発効から1年が経ち、世界は着実に、脱核・脱原発・脱炭素に向かって前進しています。これらに背を向けている日本の政治に転換を迫る私たち市民と野党の共闘を飛躍させ、世界の流れにも貢献したいものです。かかる願いを添えて年始のごあいさつとします。みなさまのご健勝をこころから祈りながら・・・



80歳!  2020年9月29日からの私 




2021年1月1日
  明けましておめでとうございます



  新型コロナウイルス禍での忘れがたい1年。感染を避けるための「巣ごもり」の影 響もあり、また私たちが超高齢期を迎えたこともあり、ずいぶん多くの友人たちとの 分かれがあった1年でもありました。だから今後は、みなさんとの長いお付き合いに 感謝を申し上げ、一つのけじめをつける思いでごあいさつさせていただきます。
 安倍首相は、国民からの強い願いに屈して特別定額給付金をしぶしぶ実施した他に は、アベノマスクと、中高校の臨時休校、補償抜きの自粛要請など、マトの外れたコ ロナ対策に終始しながら、大軍拡と大企業のための憲法改悪と社会保障破壊、2度に わたる消費税増税によって日本経済を足元から停滞させる一方でした。コロナの感染 拡大のもとで国民のいのちと暮らしが重大な危機と困難にぶつかっているのに、通常 国会閉会後2か月にわたって国民の前から姿を隠していた安倍首相が、国民の内閣支 持率が30%まで下がった8月に姿を現し、「病気のため辞任」と宣言してふたたび 政権を投げ出した時には、長年にわたって取り組んできた「アベ改憲NO!」「アベ 政治を許さない」の国民的なたたかいが獲得した成果を確信できました。
 ところが、マスコミを巻き込んだ「ポスト安倍」のお祭り騒ぎで発足したスガ新政 権は、安倍政治が数知れぬ問題点を抱えて破綻したことを棚に上げ、アベ政治の破綻 もモリカケ・桜疑惑もなかったかのように、アベノミクスの継承、「いのちと経済」 を天秤にかける「GoTo」キャンペーンなど、世界的にも破綻している新自由主義 の政策をゴリ押し。これに乗じて安倍氏も菅政権に「敵基地攻撃能力の保有、軍拡・ 改憲」を指示する「談話」を発表し、国会で桜疑惑への言い逃れを繰り返すなど、ア ベ・スガ政治はどこまでも国民を愚弄しています。  破綻した者たちがゾンビのようによみがえることを許さず、いのちと暮らしを守る 新しい政治と経済を創り出すことが緊迫した課題になっていますね。
 他方国連で成立した「核兵器禁止条約」はこれまでに51か国の批准を獲得し、こ の1月22日には発効することになりました。去る大戦で満州に散らされた若き父の 命を引き継いで「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」し、80歳の大台 を迎えた私の人生は、こともあろうに唯一の被爆国日本の政権がこの「核兵器禁止条 約」を批准しないばかりか、これに反対し抵抗しているという新しいせめぎ合いに出 会っています。隠ぺい・捏造・ゴマカシによって延命だけをむさぼる政権は、日本学 術会議と学問の自由に露骨な攻撃を加え、自衛隊の若者たちを「調査研究」と偽って 戦場に駆り立てる動きまで見せています。
 いのちと暮らしを守る課題ではまったく無能・非力、好戦性と暴力性ではとことん 悪質な政治への憤りが高まる中での年明けですが、今年はこれらを乗り越える「市民 と野党の共闘」という大掛かりな流れによって政治を変えるべき年です。平和と民主 主義に向かって流れてきた人類の歴史を見つめてきた飛鳥橘寺の「伝・日羅立像」を 描きました。「核兵器禁止条約の発効おめでとう! 日本はすぐに批准を」の願いを 添えて年始のごあいさつとします。みなさまのご健勝をこころから祈りながら・・・



79歳!  2019年9月29日からの私 



2020年1月1日
  明けましておめでとうございます


 秘密保護法(2013年)、安保法制(15年)、共謀罪(17年)。安倍政権は国会での多数議席を振りかざして「強行採決」を繰り返し、日本国憲法を破壊する無法な法律を次つぎと成立させました。市民と野党はこれらの法律の違憲性を指摘し、これらの中止を求めて共闘を広げましたが、何と「法律が憲法に違反するなら『憲法を変える』とうそぶいて安倍政権は暴走を続けました。
 市民は「安倍9条改憲NO!3000万人統一署名」を繰りひろげ、野党は共通政策を充実させ、選挙での候補者1本化を前進させ、昨年の参院選では与党の「3分の2」という議席率を割り込ませ、少なくとも改憲を「強行採決」できない所まで追い込んできました。改憲の国会発議も抑え込まれてきた安倍政権は、いま「改憲」に政治生命をかけている状態ですが、長期・暴走を続けてきた政権は「桜を見る会」に象徴される腐敗・堕落の極にあります。
 また、去る大戦で満州に散った若き父の命を引き継ぎ「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」してきた私の人生はいま、国連での核兵器禁止条約の成立と安倍政権のこれへの抵抗という、新しいせめぎ合いにも出会っています。
 隠ぺい・捏造・ゴマカシによって延命だけを貪る政権は、自衛隊の若者たちを「調査研究」と偽って戦場に駆り立てています。かくも悪質な政治への憤りを表現するために今年は、「菩薩でありながら怒りの表情を示す、他に類例をみない」と言われる大安寺の「楊柳観音立像」を描きました。「戦後75年、核と戦争のない世界を!」という願いを添えて年始のごあいさつとします。
 みなさまのご健勝をこころから祈りながら・・・



2019年9月29日 誕生日を迎えました
 とうとう70歳代最後の歳を迎えました。さまざまな行動の場面で、カメラマンを務める私には、自分の写っている写真がほとんどないので、とりあえずここに載せる近影は、9月9日、調布駅頭での「9条・平和宣伝行動」でのスナップを使います。
 昨年の「寒中お見舞い」で報告したように、実に多くの先輩や友が彼岸に渡って行くことに耐えることが多くなったが、この間も、日生協の元専務で、調布のまちでの民主主義の同志として友情(と言っては不遜だろうか)をはぐくみ合ってきた福田繁さん、生協労連の成長期(1978年〜88年)の揺るぎない同志だった石飛豊さんを喪った。昔調布市で共産党の市議を務め、私たちの「原発ゼロ」行動にも参加してがんばっていただいた福地正夫さんも逝った。逝く人たちの志しを継ぐには歳を取り過ぎた自分を意識しながらも、ともに抱いたロマンを果たすべく、あらためて胸を焦がしている。
 京都生協を創設した生協運動の巨星、横関武さんが10月6日に逝去されていたことを知った。諸行無常である。
 

78歳!  2018年9月29日からの私 



2019年1月3日
  寒中お見舞い(新年のごあいさつ)


 昨年は、生協労働者「セ・パ両リーグ」の団結が創立50周年を迎え、7万の団結
の砦としての健在を現役の仲間たちと盛大に祝うことができた年でしたが、その創立
に共に関わった長谷川侃初代書記長が前年に逝去し祝宴に同席できないという残念さ
も噛みしめました。
 また同じ年、4月に彰が敬愛した姉の夫、池田龍夫氏、7月に彰60年来の心の友
加藤剛氏、8月に弘美の弟、岡芹貞夫氏、11月に同志、稲田年男氏などを、相次い
で喪いました。長いおつき合いをしてきたみなさんからの「喪中はがき」がめっきり
おおくもなっています。私たちがそういう年代にさしかかっていることを、静かに受
け止め、この新春は喪に服す思いで年始のごあいさつを遠慮させていただき、寒中お
見舞いを申し上げる次第です。

 今年は戦後74年目の年です。戦後、日本は「2度と戦争しない」道を選び、憲法
9条で、対話による紛争解決の道を示し、「戦力を持たない」と決めました。その徹
底した平和主義は、日本の誇り、世界の宝です。ところが、いまわが国の為政者は、
3年前の安保法制(戦争法)強行採決を皮切りに、暮らしと民主主義を生贄にしなが
ら軍事大国化を謀り、平和憲法を亡きものにしようと策しています。
しかし、異常な暴走政治にもかかわらず、市民・国民と野党の力を合わせた運動は
これまでのところ憲法改正の議論を一歩も進ませていません。国民の財産であり世界
の宝でもある日本国憲法を、一時期の政権の偏頗な執念のままに勝手に変えるなど許
さないという国民世論は、沖縄県民のたたかいと呼び交わして、市民と野党の共闘を
発展させています。いっせい地方選挙と参議院選挙が行われる今年、国会議席の「虚
構の多数」を悪用・乱用する勢力を孤立させることが求められています。


77歳!  2017年9月29日からの私 



2018年7月9日
  加藤 剛さん、さようなら

 今日のニュースで、加藤剛さんの最期を知った。先月の18日に亡くなったと、享年80歳だったと、そうニュースは伝えた。驚いて私は、たいせつにしまっておいたこの葉書を取りだした。数えてみれば15年が過ぎている。かならず再会できると信じて、だからこそさしたる再会の努力もせずに、氏の活躍を目を細めて見守ってきたのだった。
 もう取り返しはつかないのだが、氏との60年近くにもなる心の触れ合いを、しんみりと噛みしめている。
 加藤 剛さん、さようなら!



2018年1月1日
  年始のごあいさつ


安倍政権は日本国憲法を破壊する重大な法律を次つぎと成立させてきました。秘密
保護法(2013年)、安保法制(15年)、共謀罪(17年)。いずれも、国会での多数
議席を振りかざして無法な「強行採決」での成立でした。
憲法違反を積み重ねる与党に「強行採決」をくり返させないために、市民と野党は
与党の議席を減らそうと共闘を強めてきましたが、北朝鮮の挑発を利用して「国難選
挙」を標榜した抜き打ち解散・総選挙を強行した安倍政権は、議席の3分の2を獲得
しました。これを与党は「国民多数の支持をいただいた」として、一連の法律が憲法違
反なら「憲法を変える」と言っています。
もとよりこの「3分の2」という議席率は、民意を反映する比例選挙では33%の
得票に過ぎない自民党が、小選挙区制の効果によって75%の議席を得たことによる
もので、国民多数の支持によるものとは言えません。小選挙区制による民意の捻じ曲
げを是正するために共闘による候補者1本化をめざしてきた野党は、抜き打ち解散と
同時に仕組まれた野党分断という困難を克服して共闘を立て直し、立憲・共産・社民
の3党で選挙前の38議席を68議席に倍増させ、多くの市民・国民とともに安倍9
条改憲NO!「3000万人統一署名」に立ちあがっています。
また、去る大戦で満州に散った若き父の命を引き継ぎ「正義と秩序を基調とする国
際平和を誠実に希求」してきた私の人生はいま、国連での核兵器禁止条約の成立と安
倍政権のこれへの抵抗という、新しいせめぎ合いにも出会っています。
昨年までの「孫自慢」の絵柄をやめ、今年は平等院の「阿弥陀如来」を描いて孫離
れに挑戦。「輝け!憲法9条&核禁条約」という思いを添えて年始のごあいさつとし
ます。みなさまのご健勝をこころから祈りながら・・・


76歳!  2016年9月29日からの私 



2017年1月1日
  年末・年始のごあいさつ


 憲法違反の安保法制の廃止もならず、閣議決定で南スーダン派遣の自衛隊への戦争
任務付与を閣議で決めた政権を打倒することもならず、戦後71年の年を迎えてしま
ったこと。今「喜寿」を迎える彰には、焦燥感さえ伴なう事態です。去る大戦で満州
に散った若き父の命を引き継ぎ「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」し
てきた戦後の人生のすべてを否定されたままで済ますわけには行きません。
いま、トランプやプーチンに縋りつき、カジノにまでしがみつく政権の側の焦燥感
を見落とさず、孫子とともに本当に祝える年を切り拓くこと。これが今年の年始のあ
いさつです。みなさまのご健勝をこころから祈ります。


75歳!  2015年9月29日からの私 

 今日「光輝高麗者」となって、思えば遠くへ来たものだとの感慨と、ここまでたどり着けなかった多くの同僚・友人たちへの思いに打たれています。わが祖国ニッポンの民主主義は危機に瀕していますが、これを跳ね返さずには収まらないという思いを新たにしています。          <9月29日・記>



2016年1月1日
  年末・年始のごあいさつ


 日ごろのご厚誼とご指導に感謝し、新しい年が、人間復興、民主主義と世界平和の
実現への一歩となることを念じつつ、年始のごあいさつを申しあげます。
しかしながらこの年始は、戦後70年の間、国民も政府も決して認めなかった「集
団的自衛権」の発動を可能とする法律が制定されて最初の年始。「おめでとう」などと
言っていられない事態です。今年を、「平和安全法」とは名ばかりの「戦争法」を廃止
し、孫子とともに本当に祝える年にすること。これが今年の年始のあいさつです。
みなさまのご健勝をこころから祈ります。


74歳!  2014年9月29日からの私 

 

 <10月23日・記> 10月20日19時10分、母が息をひきとりました。医療生協の運営委員会の途中で施設から呼び出され、呼吸困難になっている母のもとへ駆けつけたのが15時半、16時に到着した救急車で酸素吸入をほどこしてもらって小康状態に。16時50分に病院に付き、レントゲン、CTを撮り、入院の病室をいただいて、その手続きについて看護士さんと打ち合わせをし、「じゃあぼくはいったん帰るからね」と本人にあいさつした時は、安らかな寝顔から命が消えていました。享年97歳。今日から明日、親戚・家族中心の葬儀を営みます。                      



2015年1月1日
  年末・年始のごあいさつ

2015年9月19日 安保法制=戦争法 強行採決で成立
 

73歳!  2013年9月29日からの私 



2014年1月1日
  年末・年始のごあいさつ
 昨年末、12月20日に妻の母が他界しました。1922年6月17日生まれ、44年から48年には兵役とシベリア抑留に取られた夫の留守を引き受けて5人の子を育て、引き揚げてきた夫とともに農業に従事。97年に夫が先立ってから17年近くを黙々と生き抜いた穏やかな人でした。享年91歳、昼に突然、低体温となって入院し、見舞いの家族たちとあいさつを交わし、その夜に逝くという、潔い最期でした。
 例年も私は「年賀状」ということではなく、同時代の諸問題に挑んでおられるみなさまへの、日ごろのご厚誼とご指導への感謝、熱い友情と連帯の思いをこめて「年末・年始のごあいさつ」を申しあげてきましたが、上記の事情によってこの春は服喪中のため、質実ともに「年賀状」ではなく「年末・年始のごあいさつ」であることをご了解ください。末尾の<追記>にもご一瞥をお願いいたします。
 またこの間、ご家族のご逝去などにより服喪中とのお知らせをいただいた方には、故人への感謝と追悼、そのご冥福と遺されたご家族のご安寧を祈る気持ちをこめてごあいさつさせていただくものです。
    <年末。年始にあたっての思い>
 東日本大震災・福島原発事故から3年目の春を迎えて、事故の収束も、被災地の復旧・復興も、いまだしという状況が相変わらず続いています。ところがこの国の政治は、原発の再稼働やら輸出やら、集団的自衛権の合法化やら秘密保護法による国民支配やら、首相の靖国神社参拝の強行やら、きな臭い道を暴走しつつあります。
 その暴走を支えるために、13年末からの年金の引き下げ、今春からの消費税の増税、日本の農業・医療・労働・産業を生贄にするTPP推進、沖縄・辺野古への新基地建設など、国民生活を隅なく犠牲にする無慈悲な施策のゴリ押しが、重大な困難と閉塞感を日本列島に蔓延させています。
 しかし13年は、これらの流れに待ったをかける国民の側の反撃が大きく前進した画期的な年だったことに着目しましょう。原発ゼロ・TPP阻止・秘密保護法廃案・改憲阻止などの国民的な共同闘争が大きく広がり、これに怖れをなした為政者が「デモはテロ」との暴言を吐くまで追い詰めました。自民党政治の対極で長年にわたって辛酸をなめてきた共産党が「二大政党制」や「小選挙区制」の詐術を乗り越えて東京都議選・参議院選挙で久びさの躍進を果たしました。史上最高の得票と五輪招致の陰で金権・腐敗にまみれてきた猪瀬都知事をわずか1年で辞任に追い込みました。
 この重大なせめぎあいを象徴するように、14年の春は、名護市長選と東京都知事選で明けます。
 かけがえのないいのちと緑の地球を守り、人類の歴史を未来に繋いでいくのかどうかという重く厳しい問いかけを高く掲げて、いまこそ人間の歴史を拓くたたかいを、みんなのちからで繰り広げたいと、新たな気持ちで念願しています。これまでにましてお世話になると思いますが、よろしくお願いします。

72歳!  2012年9月29日からの私 



2013年1月1日
  年末・年始のごあいさつ

71歳!  2011年9月29日からの私 



2012年1月1日
  年末・年始のごあいさつ

70歳(古稀)! 2010年9月29日からの私 



2011年1月1日
  新年のごあいさつ
2011年新年

69歳! 2009年9月29日からの私 



2010年1月1日
  新年のごあいさつ

68歳! 2008年9月29日からの私 


鈴木家寝坊助 大奮闘?
2009年1月18日 撮影は畏友 森川橿弘氏

  国領・染地「2009年新春のつどい」実行委員会のみなさんのお招きで、ふたたび「やかん」を演じました。

池田澄子「あさがや草紙」 お奨めします
  「あさがや草紙」。時にはしみじみと、時には笑いをこらえて、また時には「へえー!」と驚いたり感心したりしながら読みおえました。この本、表紙の美しさはたぐいまれです。

 考えてみたら、俳人となって久しいわが姉のお言葉は、いつも短く、意味深長で、こちらは憶測で判断するクセがついていました。こんなに多弁な姉に出会ったのは何十年ぶり? いや弟としては初めてかも知れません。

 軽薄に多弁を弄して生きてきた愚弟としては、わが身をはじるやら、姉の多弁が嬉しいやら、ともに歩んだ少年少女時代がいとおしいやら・・・
  若妻と3人の幼子を残して34歳で大陸に果てた父と、その後の苦楽をともにして80歳で逝った父、・・・ぼくらがそれぞれに、この2人の父への想いを抱きしめながら織り上げてきた人間への愛と平和への希いが、この書を通して、静かに響きあったことにぼくは感動しています。この姉を誇りに思います。
角川書店のサイトのキャッチコピー
つい、うかうかと本当のことを書いてしまって、身の置き所をなくしている……
  ――注目の俳人、初のエッセイ集
 軽みの中に人間味のある温かさと、時に風刺の効いた口語文体で独自の俳句世界を開拓している著者初めての俳句エッセイ集。 父や師の三橋敏雄のこと、詩や文学、好きな季節や植物など、澄子俳句の源流が垣間見える。
発売日:2008年 08月 26日
定価(税込): 1800円
四六判
ISBN 978-4-04-621197-2-C0095
発行元:角川学芸出版
角川書店の関連サイト 

2009年1月1日  新年のごあいさつ
親愛なるみなさま

新年のごあいさつを

遠慮させていただきました

 昨年8月20日に、弘美の姉、春代が永眠しました。2004年7月に倒れてから満4年、意識を取り戻さないまま66歳での逝去でした。家庭と仕事を愛し、気風の良いさわやかな人生を着実に築いていた優しく頼もしい姉でした。締めくくりの時期に自身で関与できなかった彼女の悔しさを思わずにいられません。しかし、遺された者には、それぞれの人生を誠実に生きることでしか逝った者を供養できません。そんな思いも籠めて、いま激動する世界に生命の尊厳を謳い恒久平和を希求する日本国憲法を輝かせようと、元気に過ごしています。

 寒さの折、くれぐれもご自愛ください。

本年がみなさまにとって

良い年でありますように

 2009年1月

 鈴木 彰弘美

E-mail suzu@mint.ocn.ne.jp HP: http://www11.ocn.ne.jp/~suzu/


 <お詫び> 年賀状をいただいた方にもメールで挨拶させていただきました。

       非礼をお詫びしつつ、今後のご挨拶も、メールで行なわせていた

       だけますよう、お願いいたします。


67歳! 2007年9月29日からの私 

2008年1月1日  新年のごあいさつ

66歳! 2006年9月29日からの私 

2007年1月1日  新年のごあいさつ

鈴木家寝坊助 誕生
2006年11月16日 調布「憲法ひろば」2周年集会

65歳! 2005年9月29日からの私 
池田龍夫氏・岩倉博氏の著書を推薦・紹介します

<右>
異評・司馬遼太郎
  今日の「しんぶん赤旗」に畏友、岩倉博さんの新著「異評・司馬遼太郎」の広告がでました。私はずいぶん以前から、彼の司馬評の愛読者で、その偉業が本になることに期待をしてきました。ここにご紹介がてら、喜びを表明しておきたいと思います。
 早乙女勝元さんの「小説・東京大空襲」も目を引きますね。


<左>
崖っぷちの新聞
 昨年11月、敬愛する義兄、池田龍夫が「崖っぷちの新聞・・・・ジャーナリズムの原点を問う」を世に出しました。政治・経済・社会の諸問題について新聞はどう取り上げたか?各紙を読み較べながらジャーナリズムの原点問いかける説得力満点の快著です。

2006年1月1日  新年のごあいさつ
2005年10月20日 津軽保健生協のスクーリングで講師をつとめました
 「憲法と医療生協」・・・・たっぷりと時間をいただいたのに、話してみると思うように行かないところも多々ありました。実は、このテーマで正面からお話させていただいたのは初めてでしたので、話しながら、レジメのムリやムダも発見して冷汗も流しました。
 総務課長の小田桐さんからは、温かい感想メールをいただきました。ホテルまで送ってくださった理事の柴田さんには、教組時代のご活躍や生協教育委員会でのご奮闘について色いろ聞かせていただきました。
 副理事長の三浦さんからいただいた「医療を民衆の手に、50年のときを超えて」と「記念事業アルバム」はホテルと帰りの飛行機の中で一気に読ませていただきました。「医療を民衆の手に・・・・津軽保健生協のたたかい」は、私が生協労連の専従になった年(1969年)に民衆社という出版社から発行された本です。生協労連が同じ出版社から「生協労働者と今日の生協運動」という本を発行したのが殆ど同時だったと言う因縁もあり、非常に懐かしい本です。それだけではなく、結成間もない生協労連の路線を確立しようとする時期に、私は「医療を民衆の手に」を強い共感と感動を持って繰り返し読みましたし、いまでも私の書庫にたいせつに持っています。「50年のときを超えて」を拝読し、亡き津川武一さんをしみじみと偲ぶとともに、津軽保健生協の歴史の重さと今日のご発展を心から嬉しく味わせていただきました。
 
戸木田嘉久先生から新しい著書をいただきました
 生協労働者の「2つの使命」をめぐる提起に感動! 世が世ならば私が書きたかったことです。すべての生協労働者にぜひ読んでいただきたいと思います。
日生協福祉推進協議会主催
第13回日生協ライフビジョンセミナー(箱根会場)で基調講演
10 月6〜7日、於:箱根「湯本富士屋ホテル」
2005年9月29日の私 
 夜更けてから、妻と娘が誕生日を祝ってくれた。待ちくたびれて居眠りをしているようなポーズだが・・・
2005年9月29日 戸木田 嘉久先生に感謝
生協で働くすべてのなかまに
ぜひ読んで欲しい労作に遭遇
 わが国の生協運動の再生の道は何か? そこで果たすべき生協職員の役割は何か? 21世紀、生協運動の原点を説き起こし、議論を呼びかける新著に巡り会いました。本当ならば、私が言うべきこと、言いたかったことが、ここには敢然と述べられています。1人でも多くのなかまに、ぜひ読んで欲しい労作です。

64歳! 2004年9月29日からの私
  2005年7月15日
日生協医療部会の全国統一行動にはじめて参加  2005年2月18日
 昨年12月10日に結成した北多摩中央医療生協・調布支部の一員として参加。隣は同支部の組合員でもある都議候補の田中とも子さん。右端は北多摩中央医療生協の大鳥常務。
2005年1月1日 憲法の生きる時代をもとめて 新年のごあいさつ

10月22日 酒井謙彌さん(全日自労/建交労)とのお別れの会

10月13〜15日 全労連顧問・四役会議 於:大町温泉

欅平に立つ

前夜に雪が降った乗鞍岳をバックに
紅葉と雪が織り成す稀有な絶景!
彼らの行くところには何故か
このような注意書きがあった


黒部ダムの放水に立つ虹!
日生協福祉推進協議会主催
ふたたびライフビジョンセミナー
10月8日、於:福岡

 ここでも懐かしいなかまたちと再会できました。
 
2004年10月9日
郷田くんを偲んで
エフコープのなかまとともに
生協労連のOBと現役も集う

日生協福祉推進協議会主催
ライフビジョンセミナーで基調講演
9月30日、於:京都

 64歳の誕生日は台風21号の直撃を受けた。
 セミナーに備えて前日に京都入り。久しく会うことの叶わなかった生協パート懇創設・推進の同志Mさんとの再会を果たした。
 30日当日は、ライフビジョンセミナーでの講師というのは初めての経験なので、少し緊張してこれにのぞんだが、参加者の中に2人の旧知を発見。こうべのSさん、京都のNさん。その再会のよろこびですっかり緊張を解かれてしまった。生協労連で長い間勤め上げたことへの暖かいお返しが、いまわが身をつつむことを感じた。ありがたいことだ。

63歳! 2003年9月29日からの私
生協労連第37回定期大会で「記念講演」
 2004年9月17日、東京・江東区の「タイム24」で開催された大会での記念講演は持ち時間30分。テーマは「平和とよりよいくらしのために・・・・守りぬこう憲法九条」。
第18回日本高齢者大会に出席

 2004年9月15〜16日、千葉ポートアリーナと千葉市内公共施設を会場に開催された「第18回日本高齢者大会」に出席しました。
 2001年9月15日に大阪で開催された第15回大会には、全労連副議長としてあいさつ参加をしましたが、今回は年金者組合のメンバーとしての初めての参加。全労連西川副議長のあいさつを聞きながら感慨無量でした。
 この会場で色んな人と再会しましたが、写真はわが敬愛する先輩サトケン。嬉しかったのでカメラが震えてしまいました。

 2日目に私は、第15分科会「どうなっているこの世の中」の助言者を務めました

2004年9月3日 生協労連パート部会の記念座談会に出席
来年、(1)パート部会結成25周年、(2)生協労連パート中執誕生20周年、(3)パート部会再開10周年を迎えます
2004年8月28〜29日 生協労連東海地連第20回定期大会で記念講演
写真は大会で選出された新年度の役員たち
2004年1月1日 つつしんで新年のごあいさつ  
2003年12月26日 国会前で

人生は62歳から? 2002年7月からの私
2002年7月:全国労働組合総連合(全労連)副議長
        の任期終了、同顧問に就任

     9月:「調布に生協診療所をつくる会」の世
        話人に就任

     9月:全国生協労働組合連合会(生協労連
        特別執行委員の任期終了

        62歳の誕生日を迎える(9月29日)

    10月:全日本年金者組合(年金者組合)調布
        支部に加入

   
12月:専修学校「Webアドミニストレータ科」を
        受講
・・・
一緒に受講した楽しい仲間たち
         を別頁
Webアド教室の仲間たち)
         
紹介します。

2003
年2月:同校修了(28日)を記念して当ホーム
        ページ 「草の庵」をアップ


     6月:年金者組合調布支部の定期総会で
        執行委員に選出されてしまう
(冷汗!)

     7月:「労働運動」誌8月号に「パート労働
        問題」を執筆
(右がその表紙)
         
布間さん、奥野さん、北村さんなど
          生協労連の旧友たちが執筆を分
          担してるのも奇遇。
          
ぜひご一読くだされ。

     8月:お盆を埼玉県本庄で過ごして
         亡き義父(家内の父)が壁に残した
          新潟八海山の手拭にふと心引か
          れてしまった(上の写真)。
          歳かいな?

     
 

このまちに移り住んで30余年、最近こんな風景があることに気づきました