広げよう憲法を活かす力

職場から学園から平和と民主主義の流れを

2006年10月14日 生協労連大学部会総会での講演


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 司会 「広げよう憲法を活かす力」ということで、ご存じ生協労連の元書記長の鈴木彰さんをお招きいたしました。冒頭にも言いましたけれども、こういう情勢ですので、きょうの講師としてはうってつけというか、最高の講師を得た思いであります。憲法「九条の会」の仕事などにも関わっておられて、いま全労連の顧問もされておられます。いまかけつけられたばかりなので暑くてあおいでおられますけれども、申し訳ございませんがさっそく始めていただきたいと思います。では皆さん、大きな拍手でお迎えください。(拍手)

 

 鈴木 どうもこんにちは。ご紹介いただきました鈴木です。お懐かしい方もおられますが、初対面の方もおられます。そこにはやっぱり大学部会の新しい発展の兆しを感じます。大切な総会の場に、しかもプログラムの変更までお願いしてこの時間帯に回させていただいたりして、お話させていただくのはありがたいことだと思っています。今まで明治公園で集会に参加していまして、デモ行進が始まったので、行進に追いつかれないように駆け足でこっちへ来たものですから、ちょっと息を切らしております。しかも、私が参加した母体は「全日本年金者組合・調布支部」ということで、年寄りばかりの中でぬくぬくと集会に参加してきたものですから、いま若い皆さんの前で、何と言ったらいいのかな、まぶしい思いをしています。

 地域にこもって4年目になったのですが、私は基本的には地域にいます。そして、私自身は労働運動を離れて民主的な運動を考えてみるというのも初めての経験ですが、地域からの運動の再構築ということでやっています。この3年ちょっとの間に、民主的な医療機関のなかった調布市に「北多摩中央医療生協・調布支部」というのを立ち上げまして、その運営委員という仕事もやらせてもらって、生協運動とはなかなか縁が切れないなと思いながら、今の情勢の中でも医療生協の皆さんが維持しているかなりの元気さに励まされたりしています。地元には購買生協もあるのですが、地域の運動の中で付き合う場面がまるでない。せいぜいお店に行って買い物をするぐらいが関の山です。その意味で、いまの購買生協運動はもう少し元気であってほしいなと思うこともあります。その点、大学生協のなかまは元気なのか、元気でないのか、直接触れ合う機会が少ないので、気にはしておりますけれども分からない。こうして皆さんの顔を見る限りではツヤは悪くないし、元気なのであろうと思います。

 地元にこもっていますが、全国的な仕事として、さっきもご紹介いただきましたけれども、「九条の会」のホームページの、全部ではないのですけれども、いわゆる「運動と情報のページ」というところを中心にやらせてもらっています。「憲法会議」や「全日本年金者組合」のホームページも私がつくっているんです。最近はそんな仕事がやたらに多くなっているのですが、この仕事というのは派手に見えますけれども、何を隠そう、夜中に家にこもってシコシコとやるという「オタク」っぽい仕事です。ま「健康によくない運動」をいまだに続けております。もっとも医療生協をつくりましたから、そこに集まったメンバーに「健康づくり」をやろうと叱咤激励する関係上、一緒にウォーキングに参加させられたりして、みんなの前では元気な顔をして「健康に良い運動」もしているんだけれども、みんなと別れたあとはグッタリという日々を過ごしております。雑談ばかりしているわけには行きませんので、本論に入ります。

1、情勢を流れでつかまえる

 大学部会の総会の中で、憲法の問題を「記念講演」としてやらせていただけるということで、私は非常に緊張もしているのですけれども、非常に光栄に思っています。

 いま内閣も変わり、きょうの集会もそうですけれども、小泉から安倍へという流れの中でますます濃厚になってきている憲法破壊の動き。そのための露払いとしての教育基本法の改悪、この問題がきょうの集会のメインテーマだったわけですが、それらがいよいよ緊迫してきています。緊迫してきているものだから集会をサボるわけにいかなくて、プログラムの変更までお願いしなければならなかったということで、悪いのは私ではなく安倍のほうですので、その点は誤解のないようにお願いしたいと思います。

 そんな状況なので、やはり憲法の問題をもう1回基礎から学び直すことが重要です。その意味での講師としては、私は適切だと思いませんが、いわば今の時代に「憲法を守る」「9条を守る」ということはどういうことなのかをご一緒に見直してみたいと思います。私の地域には「憲法を守る」という言い方に対して、「守るんじゃないんだ」「憲法を活かすんだ」ということにこだわる人もいて、私は中間をとって「守り活かす」などと言っているわけですけれども、レジュメのタイトルに「活かす力」と書いたのはそんな意味もあります。単純に「守る」なんて性格のものではなくて、今からお話ししますけれども、憲法を破壊する側も大変なんです。今日の情勢、憲法を破壊するといってもそうちょっこらちょいと簡単にやれることではない。それは歴史的な積み上げに対抗してやらなければならないわけですから、簡単なことではない。そうなれば、われわれは単に「守って守って守り抜く」なんていう消極的な姿勢ではなくて、むしろ「攻めていく」、憲法を活かし、憲法で人権と暮らしと平和を守る、こういう立場が重要なのかなと痛感しています。

 この間、5年間小泉がやりました。あの人は1フレーズで、「痛みなくして改革なし」とか「構造改革なくして成長なし」とか、そんなことばっかり言って、言ったことはだいたい強行突破をしてきました。そのこともあって、私たち庶民の側には「彼が言ったことはやられてしまう」と言う「負け癖」のようなものがあります。しかし、やればやるほど私たちとの間の矛盾が深まっているという事実を見逃してはならないと思います。矛盾がどんどん深まっていって、その矛盾が最後には大きな蒸発点に達するということは法則的なことなんですね。そこのところを見落とさないで。たしかに今は「負け戦」が続いているけれども、その「負け戦」の中から勝機を見出す。そういう観点で見ることが重要なのではないかなと思います。「情勢を流れでつかまえる」とレジュメの冒頭に書いたのは、そういう思いです。

 最近は地域で活動していますと、長くても30分以上しゃべる機会がないんです。たいがいは5分か7分。機会がないので、きょうはタップリ時間を与えられているものだから調子に乗っていますが、時間になったらパタッとやめることも訓練していますので、レジュメが終わらなかったときにはお許しください。最初からこのレジュメは途中は抜く気でいます。特に途中の2ページ目の下の「底流をつらぬく『2つの法則』」は、私が生協労連時代にもいつもしゃべっていたようなテーマで、この法則をきっちり捕まえておくとどんな情勢に出会っても道に迷わないですむぞというつもりのことなのですけれども、そのへんのところはきょうはあまりお話ししないつもりです。ぜひレジュメを見ながら思い起こしてほしいなと思います。その法則を見抜きながら、その「流れから見える展望と運動の『環』」ということが話の締めくくりに間に合えば成功と考えていますので、よろしくお願いします。

 さて、「情勢を流れでつかまえる」ということを私はいま非常に大切だと思っています。つまり、ぶつかる局面、局面で、その局面の敵の大きさ、敵の激しさ、強さ、強行採決のありようなどを見て、これで「また負けた」「また負けた」と落ち込んでいるわけにはいかない。こういう意味でも、「流れでとらえる」ことが大切だと思うのです。

(1)憲法改悪は21世紀の「大逆流」

 憲法改悪というのは21世紀の「大逆流」です。大きな流れが戦後60年間続いてきたのだけれども、その大きな流れが21世紀を迎えて、そして新しい世紀に向かってどんな世界をつくるのか、どんな日本の役割をそこで果たすのかというところで、いま戦後60年の流れに対する「大逆流」の策動が巻き起こっている。この「逆流」は決して今に始まったものではなくて60年前から続いてはいるわけですけれども、どちらかというと60年間の戦後の流れの中の「前の半分」はわれわれが勝ってきた。民主主義の力が暮らしと福祉を向上させて、暮らしと福祉を前進させることによって経済の発展を支える。いろいろ問題はあったけれども、こういうことにある程度成功した。そういう流れの中で、戦前の「大日本帝国憲法」の下ではまったく相手にもされていなかった「国民の権利」とか「人権」とか「福祉」とか、そういう問題が「新しい憲法」の中に位置づけられて、それを一歩一歩実のあるものにするということで前進を遂げてきたといえます。

 ところが、その前進がある時から「逆流」に変わっていくわけです。その「逆流」が始まる頃までは、私はとても楽しく労働運動をやることができました。生協労連をつくり、それがどんどん大きくなっていく。それが1970年代の半ばぐらいまで続くわけです。ところが、そのころから本格的な巻き返しが政府財界の側から企てられて、80年代、90年代になるともう目も当てられないぐらいの「逆流」がある。つまり、前半をたたかってきた労働組合運動や生協運動をはじめとする「暮らしと福祉を向上させる運動」が、80年代あたりからは妨害に遭い、分裂させられ、思うように進まなくなっていく。

 とりわけ生協運動の場合は事業をもつ運動ですから、事業の面に対しても大きな攻撃を加えられて、その攻撃に対抗するためにも何とか事業経営を守らなければならないという、ある意味では余分なというか、そういう課題を押しつけられて、その点でずーっと困難にさらされているということによって、運動を支える組合員の団結という問題、組合員の要求と力で運動を動かしていくという問題などが、つい後回しになるという状況に追い込まれてきた。・・・・というのが「大逆流」時代の生協運動の一つの特徴かなと思っています。

 労働運動に至っては事業も持っていないものですから、組織そのものが生身で分裂にさらされてきました。生協の場合はとやかくいっても事業で結びついていますから、一長一短はあるわけだけれども、組織的にかなり弱められても何とか事業でつながっているという側面もあって、そういう強さも一面見せたりしているけれども、労働組合の場合は割られちゃったらメチャメチャに割られてしまう。労働戦線は再編成されて、昔は「総評・同盟・中立労連・純中立」というまとまり方をしていたけれども、今では当時とは比較にならない低い組織率に押さえ込まれて、「連合・全労連・全労協」とまとまりで、これらが非常に苦戦をしている。

 苦戦の中身は何かというと、昔の労働運動は4つに分かれてやっていたといっても、ときどき共同闘争をやれたし、少なくとも労働者の生活と権利を守るという課題ではどの団体も逃げられなかったというぐらいに、そういう課題では一致できたところがあったんですけれども、今は割られた新しい運動そのものが、新しい経済情勢に協力するのかしないのかということを膝詰めされて、結局資本とたたかわないというだけではなくて、資本と共に生きる労組幹部が育成されてしまって、どうにもならないところまでいっているところがあるんです。こうしていま労働運動がバラバラになっている。

 ただ、良くしたもので、そういう困難が累積されてくると、労働者・国民というのは生身の人間ですから、生身の人間は、組織同士のいい加減な分裂したの、やれあっちに義理があるのないのと言っていることに関係に付き合っているひまがないんですね、何せ生きていかなければいけないわけですから・・・・。だから生身の人間は、必ず切実な要求に基づいて、その時代、その時代にふさわしく力を合わせて運動に立ち上がるんですね。そうして運動に立ち上がっていくときに、労働運動が当てにされているかどうか、生協運動が当てにされているかどうか。そこのところは、いま私たちが胸に手を当てて考えなければいけないことです。労働運動、生協運動は、一時期から見ればいま、ちょっと疑問の多い時代を迎えているぞということを見なければいけないなと思います。

 しかし、労働者・国民の生身の切実な要求は絶えることがない。そして、その要求が絶えず地域で沸騰している。その沸騰しているものがどこに現れているかというと、例えば市民運動、住民運動、その政治的な頂点としての選挙闘争、こういうところに現れています。自民党の長期低落。こう言っても今はピンとこないかもしれませんが、昔、1955年に自由党と民主党という2つの政党が1つになって自民党をつくった。同年に社会党は左派と右派が統一して1つの政党、社会党になった。そして、自民党と社会党がせめぎ合う「55年体制」と呼ばれる政治体制が始まったころから考えると、自民党の長期低落というのはよく分かります。「55年体制」の特徴は自民党が3分の2の勢力、社会党が3分の1の勢力、それで拮抗していて、当時から自民党は憲法を変えたくてしようがないけれども国会で3分の2以上の発議の条件を満たすことが適わないので、ずっと諦めてきたというところにあるんだけれども、そうは言っても当時の自民党は国政選挙で、60何パーセントの支持率を得て、国会議席の6割、7割近くをにぎっていたんです。

 今は違いますよね。自民党の支持率というのは4割でしょう。いろいろな紆余曲折があったけれども4割で、単独では政権を持てないんです。だから公明党と一緒にやっているんです。公明党と一緒になって、それで選挙制度をどんどん切り換えて、特に小選挙区制というものを入れてからかなりうまくやっています。4割しか得票がないのに6割近い議席が取れるという制度に作り替えてきましたから、そういう意味ではこれを批判する中小政党が大変なわけです。そんな流れを利用しながら自民党は何とかまだ政権をにぎっていますけれども、長期低落には間違いないんです。一歩間違えれば政権の座にはいられないというところまで追い込まれているんです。それはやっぱり、地域で暮らしの要求に基づいて現実の政治を批判している庶民の願いが、いろいろ歪められながらだけれども、政治に反映しているという形になっているわけです。労働組合も生協運動も、そういう流れにどう貢献できているのかなということもチェックしないといけないと思います。

1、憲法を変える動きが急激に強まっている

 憲法を変える動きがいま急激に強まっています。自民党は去年の1028日、「新憲法草案」というのをだしました。これは翌月1122日には自民党党大会で大会決定になった。この1028日の3日後、31日には、自民党の政治を批判する最大の勢力である民主党がこれに対抗すると称して「憲法提言」というのを出しました。これも目を通してみるとちょっとがっくりするわけですけれども、自民党案の中身と基本的には大差がない。いずれもが日本を「戦争をする国」にすることを一番の目的に置いているという特徴を持っています。

 具体的にはどういうものかといいますと、知っている方に繰り返してしゃべってもしようがないだろうと思うけれども、憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、と言うことがしっかり書いてあります。これは平和主義の憲法の非常に重要な内容として私たちはとらえるわけだけれども、自民党案も、民主党案も、いろいろな能書きを言いながらこれをバッサリとなくしてしまうという点では共通している。

 それから、9条は、その第1項に「戦争を放棄する」ことが書かれ、第2項に「戦力を持たない、戦争をしない、交戦権を認めない」ということが書かれていますが、さすがの自民党も「戦争を放棄する」という第1項についてまではいまやめると言えなくて、それは残すんですが、第2項は現実的でないから削るとしています。現にイラクに行ったじゃないか。イラクに行ったが水撒きしかできなかったじゃないか。今の時代は戦争に協力する必要があるし、協力するなら銃を持ってそれなりのことがやれなければだめだ。少なくとも国連が指示したときには、積極的に協力できるように憲法を書き換えるんだということで、この第2項を削除してしまう。

 削除した上で「自衛軍」という概念を書き込む。国の自衛のための軍隊であると「自衛」を強調しながらも、「軍」を持つということははっきり書く。その上で、国連の要請があるときには積極的に闘うということも書く。書くということは何を意味するかというと、イラクに2年半いて水撒きすることしかできなかったことを反省し、今度は戦争ができるようにするということをちゃんと書くということを意味しています。自民・民主の案に共通している改悪の第2点目です。

 もう一つの点は、少しずつニュアンスは違うけれども、憲法96条の話です。96条というのはさっきも言いましたように、3分の2以上の国会議員が賛成をして発議をしないと憲法改正を提案することができない。これを「2分の1以上」に書き換えるということですね。過半数の国会議員が発議すれば、憲法改悪の提案を出すことができ、これに対して国民投票を実行することができる。国民投票を実行するとなると、国民投票についての細目がないから「国民投票法案」を先に決めなければならないというので、憲法を変える案が本格的に法案にもなっていない段階で、この前の国会ですでに「改憲手続き法案」つまり「国民投票法案」が提出されました。

 そのような方向に憲法を変えていくためには、国民の頭を切り換えさせてなければいけないので、頭を切り換えさせる大元にある「教育基本法」を従来のような民主主義の立場に立ったものから、「お国のためには命を捨てる」というような気概を養う方向へ作り替えていく。「教育基本法改悪案」もこの前の国会ですでに提案されました。

 そういうものが出されると国民は頭に来ますから、これを何とかつぶさないといかんと色ろいろ相談するじゃないですか。そういう相談をした国民をひっ捕まえて監獄に入れることもできるように「共謀罪」という、相談しただけでも逮捕するという法律を設置する法案もこの前の国会で提案されました。

 これらの3大悪法、さすがに先の国会では通せなかった。国民の世論の批判が気になってそう短期間で押し通すわけにいかなかった。ところが、今度のいま始まった国会の中では、安倍新内閣はこの3つを最優先課題としてやる、とりわけ「教育基本法」をやると言っています。これらのせめぎ合いの場では、民主党も対決姿勢をしっかり持ちきれていないというのが、憲法を変える急激な動きの特徴です。

2、しかし、9条を変えるのは容易なことではない

 そこで最初にお話ししたように、大変なことになってはいるのだが、憲法を変える、9条を変えるのはそんなにやさしいことではないぞというのが次の話です。

 @ 実はここまで来るのに60年かかっている

 9条を変える話をここまで押し出すのに、実は60年かかったんです。日本国憲法は46年に公布され、47年に施行されたわけだけれども、だいたいアメリカは、公布したとたんから日本をアメリカの「従属国」として再編成することにハッチャキになるんですね。

 それは何かというと、ソ連での社会主義国家誕生に続いて、中国でも、今の北朝鮮ですが朝鮮でも社会主義が生まれた。その流れの中で、日本を「反共の防波堤」にしなければならない。世界中が社会主義に変わっていく、労働者・国民の福祉のための政治に転換して行くというのが当時の社会主義の一つの大きな特徴なんだけれども、そういうふうな方向に変わっていくということを何としても押しとどめなければならないということで、日本占領の政策を変えたんです。占領当初のアメリカは「天皇を中心とした神の国」の国民たちが神がかり的に立ち上がって、また昔の「大日本帝国」に戻ることを本当に恐れて、日本の国を民主的に作り替えようということで、色いろな民主化措置を指導していたんです。だけど途中から、世界情勢の変化の中で日本を「反共の防波堤」にしなければならないというところへ方針を切り換えたわけですね。ところが、皮肉なことに「平和憲法」は出来上がって公布をされてしまった。そこで、ただちにこれは変えるべきだという指導、干渉を始めるわけです。

 そのうち、1950年に朝鮮戦争が起こる。このときには、日本に全面的に戦争協力させたかったのですが、日本には軍隊がない。そこで彼らは1950年にどういう指導をしたかと言うと、軍隊はないけれども、せめてそれらしいものを作りなさいといって、警察予備隊というのをマッカーサーの命令でつくらせたんですね。これは7万5000人で出発しました。それが2年後、まだ朝鮮戦争が続いているさなかに保安隊というものに組み換えられます。アメリカは朝鮮戦争に協力させたくてしようがなかったんだけれども、日本は憲法に基づいて保安隊を朝鮮にも出兵しなかった。さらに2年後に自衛隊というものに組み換えさせたときには朝鮮戦争は終わっていました。

 以降アメリカは、いろいろな手だてを講じて日本に再軍備を迫り、日本の反動勢力もそれを利用して自衛隊を育ててきました。今日の自衛隊は、公式に言われているのは定員が25万人。入隊希望者が増える時代もあるし、減る時代もあって、今はどっちかというと就職先がないのでまた人気が上がっているといううわさがあります。去年あたりの数字を見ると23万人ぐらいで、2万人ほどの定員割れという状態だけれども、23万ぐらいの軍隊めいたものが出来上がっていて、しかもそれはイラクに派兵されるにいたっている。

 この2年半、イラクに行った自衛隊員は常時600人、入れ代わり立ち代わり行ったから延べで5500人ぐらいになるそうですけれども、この人たちが2年半で使ったお金は約800億円。危険手当てというのが1日平均2万5000円つくんだそうです。危険なところへ行ったのですからそうなんでしょうけれども、でもやった仕事は水撒きです。でも、完全武装で出かけて行っているんだから、やっぱり金がかかるんです。2年半で800億円というのは、ざっと計算すると1日あたり1億円です。毎日毎日1億円を「湯水のように使う」というのはこういうことを言うんです。向こうでボランティアをやっている人たちはその何十分の一の費用で水を蒔いています。

 こうして色いろな紆余曲折を経ながら、ついに自衛隊をイラクまで引っ張りだしたけれども、アメリカは今だに日本をともに戦争させるに至っていない。これが第1点です。

 第2点は、日本の政府も忠勤に励んできたけれども、いまだにそれを果たせていないことです。アメリカも日本も一生懸命やってきたというのがこの1番目と2番目です。

 3番目に言いたいのは、「にもかかわらず」、つまりそうしよう、そうしようと一生懸命に画策をしてきたけれども、いまだに日本は60年間、他国への侵略や殺戮をしていないということ。これはなぜかといえば「憲法9条」があるからです。「憲法9条」がなかったらこんなわけにはいかなかった。そういうところをしっかり押さえておく必要がある。

 この間、いろいろと情勢が激動しています。さっき言いましたようにこの6月に閉会した先の国会では、医療改悪法案は通されちゃいましたけれども、「戦争準備のための3つの法案」は3つとも、廃案にはできなかったけれども、継続審議になった。その後、小泉さんが5年間の刑期を終えて、違うな、任期を終えて交替し、安倍さんが登場するという情勢の中で、このへんの流れを後押しするかのような事態が続発しています。あのわけのわからない国が7月22日にミサイルを7発打って総裁選での安倍陣営を活気付かせたり、小泉さんが8月15日に、「心の問題」だから干渉するなと言っていたこととは裏腹に「公約だから」と言い訳して靖国神社へ行っちゃったり。8月22日にはまさに総裁選の真っ只中で、記者会見に立った安倍晋三幹事長が「新憲法を政治日程に上げたい」、つまり、まだ「草案」でしかない「新憲法草案」を、正式なものとして国会に上げていきたいということを総裁選への公約として宣言したり。・・・・こんなことが立て続けに起こって、そして9月26日に安倍晋三内閣が誕生いたしました。

 その後にまた10月9日、北朝鮮が核実験をやったと発表します。安倍さんは運がいいというのか、悪いというのか、裏でつながっていないかと冗談さえ飛び交っていますが、北朝鮮情勢にいつも後押しされながら過激な言動を繰り返しています。そうは言っても安倍さんは、総理大臣になってからは言葉を慎んでいます。総裁選のときには、「現憲法の下でも集団的自衛権はあるんだ」、つまり「イラクへ行って必要だったら鉄砲を撃ってもよかったんだ」という立場を表明してみたり、「憲法改定を喫緊の課題にしなければならない」とはっきり言ったりしていたんだけれども、今はちょっと静かにしながら、北朝鮮情勢をフルに使って、「だから日本は軍備を持たなければ危ない」、「攻めてきたらどないするんや」という議論を政治家の中に盛り上げて、そういうものに押されながら新しい路線を張っていこうという流れを見せていますね。

 「憲法9条があったからイラクに行っても鉄砲を撃てなかった」・・・・このことを掴むのはすごく大事ですけれども、それだけではないんです。日本は今まで、さっきも言いましたけれども、まず1950年の朝鮮戦争には憲法9条があったからまったく巻き込まれないで済んだ。それだけではなく朝鮮戦争の特需に出合って日本経済を発展させる契機までつかんでしまうわけです。朝鮮特需ということで、日本経済はその後の高度成長の糸口をつかんだりする。そしてどんどん日本経済は発展します。世界に日本経済の発展が受け入れられたのはなぜかといったら、「平和憲法と憲法9条があったから」であり、「二度とあのようなことはしないという誓いを日本が憲法をもって国際的にも約束していたから」なのです。だから世界に受け入れられた。これはものすごく大事な点だと思います。

 1964年から75年までベトナム侵略戦争というのがありました。これには日本の基地がフルに使われたけれど、日本は自衛隊があっても出かけていくわけにはいかなかった。それから、91年の湾岸戦争、これにも巻き込まれなかった。そして2003年イラク戦争についに600人出してしまうのですが、鉄砲は撃たなかった。こういう流れです。

 こういう流れで「戦争をしない国・日本」は世界に受け入れられてきたんです。世界に受け入れられてきたから、世界の中で、侵略的な性格を強めるなど色いろな問題点もあるけれども、いずれにせよ経済成長を遂げることができたんです。そして、この経済成長を通して、いま中国には日本の企業5000社が出ていっているそうです。さらに東南アジアにも5000社出ているそうです。その他のアジア地域にも5000社あって、約1万5000の日本の企業がアジアで経済活動をしているわけです。かつて日本の侵略戦争によってこりごりの目に遭わされたアジアの人びとが、日本経済を受け入れて、日本経済を自分の国で発展させているというのは、やはり平和憲法と憲法9条があったからです。

 これが突然侵略者に豹変する、帝国主義者に変わる、こういうことであったら受け入れられるわけがないです。ところが、それが受け入れられてきた。受け入れられたのをいいことに32分の1という中国の賃金をフルに活用して低価格生産をやる。そして、叩きに叩いたコストで生産したものを世界中に売りさばくという、こんなやり方もしていますから、経済的にも批判が出てきているということは間違いない。エコノミックアニマル、日本はけしからん、日本バッシングということが起こっていることはあるけれども、少なくとも軍事的に日本が旧帝国主義に復活してしまうことはないという「憲法の約束」が受け入れられてきたということを、本当に評価し直しておかないといけないなと思います。

 A それは、アジアと世界に対する「公約」を破ること

 憲法9条を変えることが容易ではないということの、もう一つの根拠として、それはアジアと世界に対する「公約」を破ることになるという問題もとらえておきたい。「戦争をしない、戦争のための武力を持たない、そして海外で武力を使わない」・・・・憲法9条に明記されたこれらは「アジアと世界に対する公約」なのです。これを破るということは、必要のない大変な困難をアジアにもたらすことになる。その一つの兆しのようなものが、北朝鮮の問題などのかたちで今出てきているのだろうと思います。

 B それは世界の新しい流れにも逆行している

 憲法9条を変えることは、世界の新しい流れにも逆行しているという意味でも、やはり容易なことではありません。1899年にオランダのハーグで開いた「国際平和会議」の100周年を期して、1999年に開いた「ハーグ世界平和市民会議」は「公正な世界秩序のための10の基本原則」を発表・・・・「各国議会は、日本国憲法9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と宣言しました。また、2001年1月に1万6000人の人が世界中から集まって、ブラジルのポルトアレグレで開催した「世界社会フォーラム」が、その後毎年1月に、3回目ぐらいまでは同じポルトアレグレで、その後はインドのムンバイに行ったり、あるいはアフリカとかいくつか地方でやったりしながら、またこの前はポルトアレグレに戻ったりして続けられているのですが、今では15万人ぐらいの人たちが集まってくる。このポルトアレグレという地域は、協同組合が非常に発展している町なんだそうですけれども、そういう町に集まって、アメリカ型・侵略型のグローバリズムが世界中に広がることに反対する議論が発展しているのです。毎年だれが号令をかけるのでもない、いわば申し合わせたように人びとが集まってきて、特段のテーマを定めてどうこう運営するのではないけれども、いろいろなフォーラムがその場で組まれて、いわば平和型の、住民参加型のグローバリズム、そういう社会のあり方について議論を重ねている。これがいま世界で起こっている一つの特徴をなしています。

 この形と非常によく似たのが日本で発展し始めている「九条の会」だと思うんです。特段の号令や指揮命令があるわけではないんだけれども、いろいろな場所で好き好きに集まって、好き好きに議論をして、それらがずっとトータルになると大きな世論づくりに発展していくという流れです。

 この点で言えば、日本には軍隊がはびこっていた戦前の時代から、一種の「くせ」のようなものが定着していると思うんです。「昔陸軍、いま総評」なんて言われたこともありますが、組織をつくって一つにまとまっていくということについてはわが日本国民は、戦前から訓練されてて、労働組合運動も実はそれに学んだようなところがあって、中央が決定し、指揮命令を出すと、それに基づいて組合として一つにまとまって、みんなで団結して動く。これはこれで大事な点ではあるのだけれども、それが組合員一人ひとりが本当に議論して合意しながら進められたかというと、なかなかそうは行かない。そういうものが置き去りになっていて、多数決で決めてしまったら、少数はそれに従えという感じで、そのうちに少数で決めて多数を従わせるみたいな組織運営まで生まれるようなことがある。

 いわば「集団主義の弊害」というのでしょうか。私たちにはいつも課題が山のようにあるので、ついついそういうほうへ流れざるを得ないという時代もあったんだけれども、そういう弊害がいつのまにか積み上げられていて、組織不信とか、組織嫌いとかが沈殿している。私はいま地域でやっているでしょう。地域の人たちが、労働組合が嫌いなのにびっくりしています。私がかつて労働運動をやっていたなんていうと、それで目も合わせてくれないような人が居たり、労働組合というと何か勝手に決定して指揮命令をしてストライキをやって、他人の迷惑を省みずと思い込んでいる人がずいぶん多い。確かに間違っていますよ、そういう認識は。間違っているけれども、そういう認識を植え込むような原因をつくってきた問題については、虚心に振り返らなければいけないなと思うのです。

 そういう意味で決定よりも議論を大切にする。議論のプロセスを大切にする。みんなで本当に討論できたのかを絶えず検討する。

 私はいま地域で色いろやってるでしょう。「調布・憲法ひろば」という「九条の会」の地域版をやっているんだけれども、そこで色いろ議論を続けている。そうすると、そのうちに何人かの人が、「こんな議論だけしてたってしようがない」とか「住民過半数の署名に取り組もう」とか言い出すのです。これに私は反対しています。市内で300人か400人の人が、ようやく参加するようになっただけの運動体が「住民過半数の署名に取り組もう」と言うのはいかがなものか。正しいことだから取り組んでもいいんですよ。でも、現在参加している300人が、住民の中の2万、3万の人たちにさえ呼びかけきれていない現状をリアルに見るべきではないか。300人で「住民過半数の署名を集める」というところまで本当に決意を固めあっていけるのか。いまは「討論の輪を広げる」ところを大事にしようじゃないかと、行動派に我慢を訴えているんです。「鈴木さんって、何だか石橋を叩いても渡らない、非常に危ない人間だ」なんて思われたりもしながらね。私はかつてはもっと急進的なところもありましたから、あるいは「裏切り者」と見られているのかなと思ったりしながらね。でも、やはりそこを大事にしようと考えています。決定をして、号令をして、それ!一斉にやろう、という運動のかたちは、戦後60年間、私たちが経験を積んできた試され済みのかたちですよね。繰り返して努力してきたでしょう。特に組合に参加している人たちは本当に繰り返してがんばってきましたよね。もちろんこれは、もっと努力してもっと発展させていかなければいけないけれども、その繰り返しだけではだめだったんだなということに、私は気づかざるを得ないのです。

 なぜだめだったのか。労働組合の組織率は落ち続けているじゃないですか。労働組合は絶えず組織が広がっていくという状況を作り出さなかったら、正しい運動とは言えないだろうと思います。そういう意味で、多くの人びとを置き去りにしながら、確信の持てる人たちだけで確信の持てる道を前進しているということだけでは絶対に不足だ。それに対して一つのアンチテーゼのように「世界社会フォーラム」が生まれているし、「九条の会」が出てきている。私はそんなふうに思っているんです。労働組合の運営の中でも決めなければならないことは決めなければならない。そうでない問題というか、決めなければならない問題も可能な限り職場のすべての仲間とともに合意形成するというところにもう1回返していく、洗い直しが必要になっている。このことを本当にやれるかやれないかが、日本国憲法の生命線を守るか守らないかということにも結びつくなと思います。

 いろいろなことをしゃべっているから時間はきっとすぐなくなりますけれども、「九条の会」の呼び掛け人の1人で加藤周一さんが中国に行って講演をされたそうです。日本の「九条の会」の経験などを語ったのだそうですけれども、そうしたら中国の人たちが、日本にそういう議論をしている憲法を愛する人たちがいるということに非常に感銘を受けてくれた。最後に「加藤さん、非常にいいお話を聞いたんだけれども、私たちに何かできることはありませんか」という質問があったというんです。加藤周一さんは何と答えたか。今おっしゃった「私たちに何かできることはありませんか」という言葉を「私にできることはありませんか」というふうに切り換えてほしいと答えたんだそうです。一人ひとりが自分の決意として何をやるのか、何ができるのか、このことを考えることが大事だ。私たちはどちらかというと、民主主義の運動も、労働組合の運動も、「集団主義」というものにハマリ過ぎたのではないか。加藤周一さんの強い問題意識はそういうところにあって、そういうふうに言ったんだそうです。私なんかも、それだけでは事はおさまらないかもしれないと思うけれども、しかしすごく大事な提起だなと思いました。

 C そして何よりもそれは、憲法に背き。国民との矛盾を拡大する

 憲法9条を変えることは、国民との矛盾を拡大するという意味でも容易ではありません。国民との矛盾がどんなふうに拡大されるのかということを次に考えてみたいと思います。

(2)改憲と社会保障改悪、源流はひとつ

 改憲と社会保障改悪の流れの大元は一つなんだというところをつかむ必要がある。

 私たちは、先ほど戦後60年のうちの前半は前進した。民主主義も高揚したし、それを背景に社会保障の拡充も勝ち取った。世界に比べたらどん底にあった社会保障を西欧なんかに比べたらまだまだ不十分だけれども、一応の水準の年金制度や医療制度や、そういうものを確立するというところまで持ち込んできた。70年代の半ばぐらいまでの間に。これは大きく前進したんだけれども、その後、巻き返されているということを言いました。

1、憲法9条をなくすことは、社会のしくみを軍事優先につくりかえること

 とりわけ巻き返しの第一弾はどういうふうに始まったか。1975年が境目ですが、73年、74年に日本の労働組合運動はピークを迎えます。私はそのときにやっていたので賃上げを知っているんです。その後の人たちは「賃上げを知らないなかまたち」ですよね。以後はずっと賃金は抑えられてくるんだけれども、73年には25%ぐらいの賃上げです。そして74年には32%ぐらいの賃上げです。生協でも同じような水準の賃上げを勝ち取りました。つまり、賃金がその2年間で楽に倍になるんですね。そういう賃上げを勝ち取った。

 それだけの原資があるなら、もうちょっと社会保障に向けておいたらよかったんじゃないかとか、今の後世の人たちは批判をします。それだけの腕力がわれわれにあったらそうすべきだったんだろうなと思ったりしますけれども、あのころはともかく必死になって春闘を積み上げて、そこまでピークをつくったんです。

 それは賃金だけ勝ち取ったんじゃないです。同じ時代の春闘の、賃上げと一緒にたたかった要求は、社会保障拡充の要求、社会保障闘争です。今日の年金や医療制度の基になるスタイルはだいたいあのとき、つまり73年、74年の春闘の中で勝ち取っています。そのころまでは通勤途上で怪我した人なんて、自分で怪我したんだからと相手にもされなくて、労災保険の対象にならなかったけれども、「通勤途上は労災の対象」というのもあの時代に勝ち取ったことです。

 これに対して75年、資本が全部で結束するんです。日経連が軸になりまして、こんなことをやっていたら日本経済は滅びる、と彼らは危機感を持った。そして、これからは賃金も社会保障も抑えていかなければならない。最初に攻めてきたのが賃金。賃金抑制攻撃です。75年の春闘では「15%以上の賃上げをしてはならない」という抑えを日経連がかけた。15%ですよ、夢のようでしょう(笑)。そういう抑えをかけられまして、抵抗はしたけれども、現実に13%の賃上げに押さえこまれたんです。資本は大成功するんです。労働者に危機感を与えて、あおりたてて抑え込んだんです。このままでは日本経済はだめになると言ってやったんです。

 それから後、前の年より賃上げ率は低くしなければならないと言ってずっと低くしてきて、80年代半ばぐらいになると「マイナス賃上げ」「逆春闘」というのまでが出てきます。そんなふうにずっと賃金を抑えました。資本の側からみて大成功です。この大成功に気をよくして80年代に着手したのは社会保障の改悪です。年金の連続改悪。5年に1回ずつ年金を改悪してきました。医療制度を一つひとつ壊していく。保険料を引き上げ、給付を下げるんです。これをずっと重ねてきました。いわゆる社会保障元年と呼ばれたあの1970年代半ばの時代をピークにして、以降は抑えに入ったということです。

 それが最近ではただごとではない。小泉政権が5年間政治をにぎった間に、医療、年金、介護、福祉、さまざまな改悪、保険料をかけたり、給付を減らしたり、何やかんやをやって国民に負担をかけてきた負担の総額は5年間で1兆6000億円だそうです。そしてこの前、「骨太の方針」というのを小泉政権の置き土産に置いていったでしょう。あの「骨太の方針」の中に書かれているのは、今後5年間、今までの5年間と同じぐらいの規模の社会保障の整理をしなければならないと言うことですから、あと1兆6000億円、保険料を引き上げたり、給付を下げたりを続けるということを言っているわけです。そのためにいま年寄りが狙い撃ちに遭っているわけです。それに加えて、去年から今年にかけて、今年から来年にかけて、「定率減税」というのを廃止しているでしょう。この「定率減税」を全廃することによって、国民にかかってくる負担は1兆7300億円だそうです。1兆6000億円+1兆6000億円+1兆7300億円、答えはお任せです。

 さらにあります。消費税を上げるというのが見え隠れどころじゃない、見え見えでしょう。10%までもってくる。1%上げると2兆5000億円です。いまの5%をさらに引き上げて10%にすると5%、2.5×5=125000億円。さっきの足し算と今度の足し算を足してみてください。17兆円かそこらになります。これを5年前からこれから5年後ぐらいまでの間にやろうというわけです。

 今年の春、大手銀行6大グループが決算を出しました。この決算では3兆円の利益。アメリカが最近、日本の軍事基地撤去の要求に押されたように見せかけながら、基地の再編成というものを始めている。沖縄の基地を移すとか国内で移動させるとかいろいろやる。一部グアム島に運ぶ。そのために費用が3兆円かかるんだが日本が負担してくれないかと言っています。3兆円です。銀行だけでももうけが3兆円、アメリカ軍が狙っているのが3兆円。まだまだありますね。頭が弱ってきているものですから、なかなかスムーズには出てきませんが・・・・

 ともかく片っ端から国民負担をかぶせて、それによって福祉を安定させると称しているけれども、結果的には全部大企業の大もうけか、軍備の拡大、あるいは経済の軍事化という方向に流していっているというのが事実なんですね。この流れを見据えると、いまやられている憲法9条をなくしてしまえというのは、まさにそのような方向を法律で固めようとしていることだというのが見え見えになってくるわけです。ここのところを抑えながら憲法の問題を考えないと、理念的に「平和を守るために」ということだけでは済まない。私たちの生身の暮らしが、その憲法改悪の狙い目の中で一つひとつ破壊されてきているということを見抜いておかないと、これは大変なことになる。逆に言えば、見抜くことによって、私たちのたたかいに本当の力をつけることができる。こういうふうに思うんです。

 9条をなくすことは社会のしくみを軍事優先につくりかえること。それはまずアメリカへの無償の忠誠を追求すること。いま話したのはそういうことですね。そのために暮らしや福祉、教育を今以上に犠牲にする。そして、資本がさらにもうけを積み上げていくことができる方向へ、経済の制度もどんどん変えていく。

 さっき思い出しかけて思い出さなかったのは「大企業に対する減税」のことです。法人税というのは1989年ぐらいのピークでは42%の税率だったのですけれども、今はいくらになっていると思いますか。生協にもいま課税があるから、ご存じだと思うけれども、30%です。42%が30%に下げられて、そのことによって当時のいわば法人税の税収が現在は6兆円低くなっているそうです。だから、国民には消費税でどんどん負担をかけながら、その分はみんな法人税の減税でまけてやったという流れになっているということも、現実の流れなんですね。

 さらには「規制緩和」でしょう。経済活動は好きなことをやってもよろしい。好きなことをやってもいいからライブドアも出てきたし、村上ファンドも出てきた。それを利用して日銀総裁まで大もうけするわけです。そういう流れを勝手放題につくっておいて、それがだんだん世の中にばれてうまくいかなくなると、「悪いのはやつらだ」というふうにしてしまう、無責任な責任転嫁をしながらだけれども、全体としては資本が「原点に帰る」、つまり、何の規制も受けなかった原始資本主義の時代に立ち戻って、好き勝手にもうけを追求することができるような、これを「新自由主義」と言いますね。

 人間の歴史は「自由主義」に「民主主義」の鎖をつけてきました。資本に勝手なことはさせない、国民の生活と権利を基本的には保証しなければいけないということを基礎にこの鎖がつけられたんだけれども、それを振り払って原点に戻って弱肉強食でぼろ儲けをしたい。失敗したやつがいるとそいつを犯人に仕立て上げて追いやっておいて、またほかでそれを追求するという、本当にモラルも何もない資本主義がいま競争を始めています。

 モラルも何もないから、できあがる製品にもほとんど信用がありません。ロケットは飛ばないし、飛んでも落ちるし、どこかで思いがけないものが爆発する・・・・。商品というものを一つ一つ時限爆弾かと思っていないと消費者は生きていけない時代が訪れていますけれども、そのようなことをさらに進めようとしているわけですね。・・・・あれ、ちょっと待てよ、時間が終わっちゃっているかな。ごめん。まあ、そういうことです。私もいま「新自由主義」の中にいるから時間をきちんとしゃべれなくなっちゃったね(笑)。

2、「新憲法草案」は国民の抵抗を抑えることも仕組んでいる

 こういう弱肉強食には、当然のことですが労働者・国民の抵抗が強まります。そこで「新憲法草案」は、そういう国民の抵抗を抑えるという仕組みを用意しています。ただし、さっき言いました3点が今度の憲法改悪の3大要点で、これを実現するためにほかのことをみんな抜きにしていいとかかってきてきています。さっき3点を通して、国会の過半数で提案できるようにしておけば、あとは何回でも改憲提案すればいいんだから。今の勢力があればいつでもやれるというわけです。だから他のことをみんな抜いている。天皇を元首にするという問題もとっくの昔に隠してしまっていますが、基本的には国民の権利を抑制するという問題や、民主主義を形だけにするような問題を「新憲法草案」の随所に織り込んでいるというのが特徴です。

(3)本流と逆流は絶えずせめぎあっている

 この話を始めたら遠大なことですからそう簡単にいかないのですが、長い間、日本の憲法をめぐるたたかいというのは、戦前の帝国主義として世界に侵略と戦争を繰り返した時代の明治憲法=「大日本帝国憲法」に戻りたいという勢力と、それから戦後作り上げて育ててきた「日本国憲法」をさらに育て、発展させていきたいという勢力とのたたかいで成り立っているんですね、この戦後60年の歴史というのは。そして、そのたたかいがいま、彼らとしてはピークに来たと言っているんだけれども、彼らがいまチャンスだと言っているのは、冒頭でも言いましたように、国会での議席がまだ安定過半数を持てている間に、今やらないとやれなくなってしまうという意味での、今を逃すことができないチャンスという意味なんです。

 逆に、私たちの側からすれば、このような危機を押しとどめて、そして、平和と民主主義の時代をさらに地道に発展させれば、そのようなことは不可能な時代がやってくるという、そういうせめぎ合いの中にいる。だから、今こそ私たちは、何が何でも1億国民の議論を作り出して、そして国民世論を、仮に「国民投票法案」がごり押しされるようなことがあったとしても、国民投票でつぶしてしまうことができるだけの力をじっくりと作り上げていくということを欠かしてはならない。こういうふうに思います。

2、流れから見える展望と運動の「環」

 こういうせめぎ合いの流れの中から、いま見えてくる展望というのは何なのかといえば、今の時代を、資本主義の新たな巻き返しに対する私たちの側からのたたかいの時代ととらえ、人間を大切にする、人間復興=ルネッサンスの時代を切り開くことではないか。

 労働者の半数近くが失業者か不安定雇用者になっちゃった。では残りの半分は安定雇用かというと、そうじゃないです。一人ひとりのなかまに出会って、「あんた、10年後どうしてる?」とか、「定年までいけそうかい?」というと、たいがいの人がうつむいてみたり、空惚けてみたりします。自分の未来が見えないようなところに、人間の暮らしと命が置かれている。そのようなときに、人間の暮らしと命を本当に大切にする語り合いが行なわれ、それを大切にする方向での働きかけが世の中に対して行なわれていくということこそが大事でしょう。そういう意味での庶民の要求の一致はいま確実に広がっていると思います。組織や、言葉や、さまざまなことで分断されてきている傾向はあるけれども、そこのところを取っ払って、根っこで話し合ってみたら、本当に同じ思いだというのが地域で活動しているとよくわかります。そういうことをやっていくことが重要になっている。

1、なぜいま憲法「改正」か

 ここで皆さんにぜひ議論しておいていただきたいことは、「なぜいま憲法改正なのか」という問題です。彼らは最後のチャンスだと思って攻めてきているということをさっき言いましたけれども、だいたいこんな議論を仕掛けてきています。

 @ 「おしつけられた」論

 日本の憲法というのは進駐軍に押しつけられたものだ、だから国民が自分らで作ったものではないから自主憲法を作らなきゃいかん、こんな議論がやられています。

 果たしてそうか。これは日本の生協運動が憲法が出来上がる時代にどんな奮闘をしたかということを振り返って、ひもといていただければわかります。私たちの先輩たちの運動が、何とか従来の「大日本帝国憲法」に準ずるものにしてすり抜けたいと策動する旧勢力を孤立させて、いまの「日本国憲法」を創り支えてきたということは事実なんですね。当時の運動が十分に発展していたかというと、まだ戦後間もない時代ですから色いろ不十分さはあったけれども、「押しつけられた」論というのは事実でもってそうとうに打ち破られてきているところをぜひ確信してほしい。

 A 「古くなった」論は憲法違反の「正当化」論

 「古くなった」というが、古くなってもますます輝きを帯び、価値を深めているのが「日本国憲法」です。ところが、それが本当に古くなったように見えるのはなぜなのかというと、憲法を守らないことが社会の中でたくさん横行しているからです。守らせる方向に押し返していく。憲法違反を一つひとつ許さないで跳ね返していく。職場の中にいま起こってきている憲法に抵触するような事態、これがみんな「目こぼし」になっているということに大問題があるわけです。それを一つひとつつかみ上げて、押し返していくということが重要になっているのです。

 B 「非現実的」論と「攻めてきたらどうする?」論

 「非現実的」だというのは、それは何かといえば、「戦争がやられているのにうちはやらないというのは非現実的だ」とか「北朝鮮が攻めてこようというのにこれじゃああかん」とか言うものです。北朝鮮ってどういう国か知っていますね。国家財政の規模、円に直して4000億円ですよ。東京で言うと足立区の財政と同じくらいの規模だと言いますけれども、その4000億円の中の半分を軍事費に使って、国民の暮らしその他にはその残りしか回らないので、あの国の国民はひどい目に遭っているわけです。財政の半分を使って100万人の軍隊を持っている。日本の自衛隊は25万人だけれども、100万人の兵隊さんを抱えている。これでは、何も余力はありませんよ。ミサイルや核兵器について、やれ開発したとか、実験をやったとか、成功したとか、あれはうそだとか、色いろ言われているけれども、それらが本当だったとしても、日本に100万の軍隊が船に乗って攻めてこられるような力は絶対にないんです。このように持続的な戦争をする力がない国が、何で日本に向かって攻めてくるのだろう。そのへんのところを冷静に議論してみないと、核実験をやったとか、テポドンが間違った方向へ飛んだとか、そんなことだけで大騒ぎしているわけにはいかない。そんな論議の方が「非現実的」ではないですか。

 C 誰が何のために?

 だれが何のために、いま憲法を変えようとしているのかということを見ないと、冷静な判断は出来ません。大企業が大もうけをしたいし、経済を軍事化することによってさらに軍事的経済でもうけていきたいし、海外に進出をしていきたい。そういうことがこの流れの牽引力になっているんだということを見抜いていかなきゃいけない。

2、「九条の会」が2年で5174!

 9条改憲を跳ね返していく力が、いま「九条の会」を一つの典型にしながら、大きな盛り上がりを見せている。「九条の会」は9人の先生方が呼びかけてくださったんだけれども、それに対して応えて、いま全国で5200ぐらいの「九条の会」が全国に生まれています。小さな職場にも一つひとつ「九条の会」が生まれたりしているわけですけれども、そういうものも含めて5200だそうです。

 1960年に安保条約の改定を、今の安倍晋三さんのおじいさんの岸信介さんというのが安保改定ということで強行突破をして、アメリカに日本が永遠に軍事基地を提供するという体制を作っちゃった。けれども、そのときに国民はこれに抗議して、「岸を倒せ!」というので倒しちゃったんですね。岸政権は「安保改定」は強行突破したけれども倒れちゃったんです。その歴史的な「内閣打倒」を成し遂げたときの国民の力はどんなだったかというと、全国に「安保共闘」というのが作られた。安保改定に反対する共同闘争組織です。このときに作られた組織数が全国で2000ですが、その数の倍以上の数が、いま「九条の会」では生まれているんです。この流れをみんなで励まし、みんなで育て、発展させていくならば、大きな力になるということが明らかだと思います。

 時間もオーバーしました。何をしゃべったかわからなかったかもしれないですけれども、心を受け取っていただいて、ともに21世紀初頭のこの時代を、私のほうはもう退役しているわけですから、「草葉の陰」で命ある限り頑張りたいと思いますが、皆さんは若き力をフルに発動して、大きな前進を図っていただけるように心からお願いをして、お話を終わりにします。どうもありがとうございました。(拍手)

<質疑応答>

 司会 どうもありがとうございました。記念講演を検討した三役幹事会のメンバーの1人としても、120%期待している講演をいただいたと思います。鈴木さんもおっしゃったように、少し、鈴木さんが現役で活躍されていたころよりも若い方もおられるので、若い方にとってはもう少し基礎編のような話も必要だったかもしれませんけれども、全体的にはすごく勉強になったと思います。

 せっかくですので、恒例の質問、質疑応答コーナーを。きょうは幸か不幸か人数がちょっと少ないので、肉声で十分いけると思いますが。いかがでしょうか。どのあたりでもかまいません。講演の中身でもけっこうですし、ふだんから憲法のことで疑問に思っておられることでも、鈴木さん、ていねいに答えていただけると思います。いかがでしょうか。

 

 鈴木 あまり格調高くこないでください。素朴なやつを。(笑)

 

 司会 いかがでしょうか。もう少し時間がありますので。せっかくですので。こういうときに地元の人たちが協力してくれると思っておりますけれども。

 

  今手を挙げようかな、どうしようかなと迷っていたのですが。O大学生協労組のYです。ちょっとしようもない質問なんですが、九条の会はたしかに豊中市なんかにもありまして、ついこの間、大阪大学では小森陽一さんの講演会があって、残念ながら私は出られなかったのですけれども、500人ぐらいの講堂が満員になったそうです。九条の会なんですけれども、9条以外の、例えば憲法25条の会とかいうのを作ったとしたら日本で初めてになるかなとか思ってるんですけれども、そういうのは鈴木さんが知っておられる範囲でありますでしょうか。もちろん9条はいちばん大事だとぼくは思っているんですけれども、それ以外も含めて日本国憲法を守ろうというような会をもし作ったとしたら初めてになりますでしょうか。

 

 鈴木 それは残念ながら初めてではないんです。例えば、「24条(男女平等)を守る女性たちの会」だとか、あるいは14条、25条、28条などなど、いわば諸権利の問題で、それぞれにそういう会を作っているところもあるし、中には憲法違反を告発して裁判でたたかっている人たちもいるし、昔から砂川基地の闘争から始まって、不当な土地の取り上げに憲法違反だといってたたかってきた経験とかも色いろあります。それは色いろあるけれども、「25条の会」のような流れをそれぞれのところで追及していくのは良いんじゃないですか。ただ、問題は、ときの焦点、つまり彼らも9条で攻めてきている。なぜそれが25条ではないのかというと、すでに実態で改悪をしてしまっているからなんですね。25条違反なんて、行くところまで行っちゃっているから明文改憲しなくたってとりあえずは済むと思っている。だから9条で攻めてきているんだけれども、その9条が一つの突破口みたいに彼らに位置づけられているから、いろいろな憲法闘争をやりながら、9条に軸を結び付けながらやっていくというのが今は大事なのではないか。そんなふうに思います。

 

 司会 ほかにいかがですか。

 

  H大生協のTと申します。国会の中の割合、数のことでいうと、本当に憲法を守ろうとしているのは共産党とか社民党とかでしょうが、議席の数でいうと1割にも満たない。例えば想像ですけれども、自民党が変えるという1点で、民主党の言うことも少し飲んで、とりあえず変えてみようかなという戦術に出たりしていますね。とりあえずいっちゃえとか。そういうようなもの、方向転換はあるでしょうか。

 

 鈴木 あり得ますね。

 

  そのへんをちょっと。

 

 鈴木 さっきの説明で少し足りなかったのかもしれないけれども、国会の議席の数と国民世論はねじれがあるんですね。それには選挙制度が大きくからんでいるわけだけれども、そういう意味では私たちがいま勝てる可能性があるのは国民投票だと思っている。国民投票で負けるようだったら、それはヤバすぎるなと思うんだけれども、まだまだ国民投票では勝てる国民世論はあると思います。国会の中に構成された議員の構成だけでいくと、民主党というのは、中にはもちろん改憲反対派がいるにはいるんでしょうけれども、党議拘束でもかけられたら、圧倒的な多数になっちゃうんですね。

 国会議員が3分の2そろって、国会に憲法改正案を提案するというところまでのことは今でも彼らはいつでもやれる。でも、やれるほどに内容がすり合わせられてまとまるかというと、まだ新憲法草案も草案で出ているだけだし、法案にまとめるには今からもう一騒ぎ。だから、安倍さんも5年以内に憲法を変えたいと言っているんですね。1年、2年で憲法改正案がまとまって提案できるとは、彼らもまだ読めていないんだと思います。そういう時間をわれわれは大いに利用するということですが、今でもそれは彼らがまとまりさえすれば提案できることは事実ですね。

 ただし、まとまって提案をした場合、それに基づいて国民投票をやらなければならないんですね。その国民投票法案は今度の国会にたぶんかかって、何かいろいろ決められるだろうけれども、基本的にはしかし、過半数の国民が賛成しなければ通らないという点までは崩せない。ただ、それに白票の扱い方とか、欠席者をどうするとか、投票数でいくのか、総数でいくのかとか、いろんな議論が残っている。

 それから、国民投票をやるときに、現行選挙法のような、いわゆる選挙運動規制を同じようにかけるのかかけないのかというのが大きなキーになります。マスコミ規制をかける、憲法の改正にかかわる報道についてはやってはいけない。そんなことをいま投票法案の中に盛り込んで、国民が「どうする、今度の投票?」って相談しただけでもできれば共謀罪で引っ張るということなどを仕組みとして作りたがっているので、そのへんを作らせないたたかいもこの国会の中ではすごく大事だし、一つひとつのせめぎ合いだなと思います。

 さらに、「情勢を流れでとらえる」というのは、少し気楽に行こうぜという意味もある。切羽詰まって、だいたい彼らは通しますから、今度のはそう簡単にさせないにしても、医療改悪だって通しちゃっているわけだからね。通されたときに失望にうちひしがれて次にエネルギーが持てないということになるほうが危険だと思うんです。

 ともかく彼らが本当に憲法改悪案を作って本気で攻めてくるにはあと4〜5年ある。その間にどんな悪法を押し通されようとも、そこをまた巻き返していくだけの国民世論をつくっていくんだ。まさか冗談じゃねえだろう、そんなむき出しのことをやるわけないだろうと思っている国民もいるわけです。それは現実に彼らがやるとすれば、やればやるほど国民の中に本質が見えていくし、私たちが放っておけばだめだけれども、訴えていく根拠が広がっていくわけです。そういう意味ではやればやるほど巻き返すぞという気持ちで流れをとらえていくということをやろうじゃないですか。

 

  ありがとうございました。

 

 司会 ほかにはいかがですか。比較的平均年齢の低い中四国の皆さん方、ご質問はないですか。ほかのところからでもいいですよ。

 

 鈴木 比較的若い人の声を聞きたいよな。あのね、私、年寄りとばっかり付き合っているでしょう。年寄りってね、何で憲法を変えちゃいけないんだって言ったら、自分が戦争を体験したからとかね。私も親父、戦死しているんですよ。そんなふうなことが出されて、だから絶対に戦争はいけない、これはそのとおりなんです。でも、その話は若い人に本当に届いているのかな、響いているのかなというのをよく感じるんです。そのへんを聞かせてください。

 

  R大生協で働いていますTと申します。特にうちの大学は理系の学生が多くて社会問題にふだんあまり関心を持っていない人が多いように感じていまして、うちでもアルバイトで理科大の学生とかいるんですけれども、本当にノンポリ、政治に対してまったく興味がないような感じもあったり、逆に今のいろいろな情勢に流されて、さっきのあれではないですけれども、自衛隊がなくて国が守れるのとか、そういう部分が多いんですね。正直、自衛隊がない時代とか、今まで攻めてこられた時代を長く経験していない人間にとって、本当にあるから攻めてこないんじゃないのという逆?世間的な考え方を持っている人もだいぶいま増えているような気がしているんですね。

 そういう人たちに、本当になくても大丈夫なんだというものを実感としてたぶん理解できなくなってきているのではないか。戦争を経験して、戦争は絶対にだめなんだという経験もないですし、逆にいま自衛隊に守られているから大丈夫なので、もっとちゃんとしたものが必要なのではないかと思っている。今の教育の中で平和が大事だという教育もされていくので、そこまではないのですけれども、今のいろいろな流れの中でそう思っている学生とか、けっこう生協職員の中でもノンポリの人がけっこういたりして、そういう人でもそういうことを言う人がいて、なかなかかみ合わない点はあったりする。そういう人たちに、そうじゃないんだと言うのはなかなか難しいなと正直思っています。そういうときにどういうことを言ったらいいかなというのがあれば。

 

 鈴木 小林よしのりって読んだことありますか。『戦争論』とか。

 

 T 『戦争論』自体はないですけれども、漫画で書いていて。

 

 鈴木 『東大一直線』、昔はそんな作品があって、いまは『戦争論』とかね。おれは『戦争論』しか読んでいないですけれども、『戦争論』だけでもこんなに分厚くて、文章ばっかり書いてあって、あれ、50万部売れているんだってね。若い人中心に読まれていて、やっぱり自分たちで防衛しないとだめだろうというやつが根っこを貫いているんですよね。

 この前、NHKの特集か何かで小林よしのりと改憲反対派と意見が一致した。どこで一致したかというと、日本はアメリカから独立しなきゃだめだ。この点では一致したわけね。7割が一致した。だけど、その7割は半分半分ね。軍隊はいらないという人と、軍隊を持つべきだというのに分かれちゃう。

 私は、「アメリカから自立すべきだ」という点で一致するなら、そこで一致したらいいと思うんです。そういう広がりをまず作るということがものすごく大事になっていると思う。現実に一致してアメリカから自立する。アメリカから自立するということの中にはアメリカ軍に守られているとか、現実にアメリカ軍が核の傘をかぶせいてるから日本は戦争にならないで済んでいるんじゃないかとかいろいろ言うけれども、本当はアメリカから戦争に引っ張り込まれようとして今まで引っ張り込まれないでいるわけです。

 アメリカから自立した。では自分らで守るのか。25万人の自衛隊員を北朝鮮の100万の軍隊に対抗させるためには、100万の自衛隊にしなければならないのか。そのためには国の予算はいま5兆円なんだけれども、いくらになるんだいという、いろんな議論をやるべきだと思うんですね。そして社会保障から、さっき言ったように10年間で20兆円近くも撤退をして、国民に負担をかぶせてきているんだけれども、さらにこれに5兆円、10兆円上積みをして国民が負担をかぶって日本軍を支えて、それで日本を守るのかいと、こんな議論をやらなければいけないのかなと思うんです。

 本当に言われたように、戦争を知らない60年間を過ごしたわけです。よそで戦争をやっていても日本には関係ないという戦争の見方が、日本の国民の中には、幸せなことに染みついたわけです。いまからとやかく言ったって戦争に巻き込まれるわけがないと思っている。それをイラク戦争は本当に薄氷の上を渡ってきたわけで、あれが9条がなかったら完全に戦争に巻き込まれたであろう。そういうことに賛成をした国に対して、まさにテロリストたちは黙っていないだろう。日本なんて狙ったら狙いやすい場所でしょうからね。地下鉄サリンで実験済みだし。そういう意味からいえば、日本が標的にさらされるということになったときに、本当に日本というのは100万の軍隊があったら守れるという性格のものなのかどうかということも含めて、本当に議論することなんだろうな。

 どういうふうに語れるのか、私も若者との接点が少ないもんだからな。本当に欲しいんだ。地元の若い人たちで、私のところの調布には電通大があるんだけれども、電通大の学生さんと今度話をしようと言っているんだけれども、ストーカーと間違われそうだしな(笑)。この前、電通大では主婦が飛び下りて、学生さん重傷だなんていっているし、そんなところへぼくらのようなおじさんが出かけていくわけにいかないところがあって悩んでいますけれども、ぜひそういう議論をして、したらまた何かで聞こえるようにしてほしい。よろしくお願いします。

 

 司会 ありがとうございました。ご協力いただきまして、ちょうど2時間になりました。質問とかもしありましたら、感想文のところにでもお書きいただきましたら、また鈴木さんに見ていただけると思いますので、この後どこまでお付き合いいただけるかは三役で交渉したいと思いますので。貴重な講演でした。どうもありがとうございました。(拍手)

 

 鈴木 素敵な時間をありがとうございました。